YOLO日記

2020.08.17

35年目の夏・75年目の夏

 それぞれの夏を迎えて、そして過ぎていきました。

35年前の8月12日、午後6時4分発の日本航空123便は乗客・乗員524人を乗せ大阪伊丹空港へ向かいました。

この時の乗客はお盆の帰省客・夏休みを迎えた子供・仕事で大阪を往復するビジネスマンなどで満席だったとのことです。

色々な思いを乗せた飛行機。けども、この飛行機は伊丹空港には迎えず、18時56分、群馬県高天原山(御巣鷹の尾根)に墜落したのです。

単独の航空事故として現在でも世界最多の520人が亡くなられる最悪の事故でした。

私自身はちょうどお風呂屋さんでお風呂上りに堺正章のトップテンを見ていた時に飛行機が落ちたという事をうっすら記憶しています。

原因としては今のところ圧力隔壁の破損及び垂直尾翼の脱落による操縦機能の喪失となっていますが、様々な疑問点が今も残っています。

520人の命・そしてその周りにいた数え切れないほどの人達の人生を変えてしまった事故。

ご冥福をお祈りいたします。

そしてその事故の40年前には国自体が一つの終止符を打ちました。

8月15日 終戦の日

日本として犠牲者が213万人も出た先の大戦が終わった日です。

広島・長崎の原爆が落とされ、日本で唯一の地上戦になった沖縄。コロナの影響の中、色んな形で75年目を迎えました。

謹んで哀悼の意を表します。

今の人達に戦争の恐ろしさや国に対する思いというものを聞いてもピンとこないらしく・・・。

先日も友人とこの話をしていたところ、思いが理解されないことで瞬間的な怒りが・・・(Oくんごめんなさい)

ただ、うちのばあちゃんは戦争経験者でしたので小さいころから戦争の話を聞いていました。

また、ばあちゃんのいとこが戦艦大和のに乗って亡くなっている事もあり、毎年祈りをささげていました。

いとこの人は20歳という若さで学徒出陣で大和に乗り込んだとの事です。

そして出兵の日。見送るばあちゃんに小声でこういったみたいです。

「もうあえんね。げんきでな。」

あの言葉が今も忘れられないと涙ながらに話していました。

その後戦艦大和が坊ノ岬沖で撃沈したことを知ったと言っていました。

一方、戦時中障害者はというと・・・

穀潰しと言われ国のコメくい虫などと言われていました。

また、国の役に立たない存在として、養護学校などに軍人がきて青酸カリを渡して飲ませるように指示されたなどの話があります。

先の大戦があったからこその平和。

そして今、戦争では勝ち取れない平和を求める時期。

弱きものは何か。戦うものは何なのか。自分自身で出来る事は何か。

私達は平和でいるために先の大戦を良く知り、考え、行動することで次に向かう平和を作る自分達一人ひとりなんだと思います。

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