YOLO日記

2021年08月

2021.08.28

二歳になりました♪

お陰様で!!!

今日はYOLO・FUKUIの誕生日!🎊

 

この二年間で感じたこと…

今まで知り得なかった広い世界がまだまだあるということ。

小さな事業所だからこそ、それを仲間と共有できている。

 

訪問系サービス、YOLOが提供しているもの主に二つ(三つ)

1:居宅介護(身体介護、家事援助)

2:重度訪問介護

3:移動支援

 

さらにその中での気づき。

精神、発達障害ある方の家事援助ニーズが高いこと。

掃除、調理…「家のこと」と言われていること全般、

やりたくないからやらない…ではない、やりたくてもできない。

相談があった時点で家事全般が全く行き届いていない状態にあったりする。

例えば、多くのゴミが捨てられずに溜まっている状態、粗大ゴミがある状態、引越したは良いけれど荷解きできないままの状態、日頃手をつけないような場所の掃除(俗に言う大掃除)…。

その場合、日常の家事の一片しか担えない家事援助のサービス枠ではなかなかもどかしいものがある。

じゃ、誰がやる?

…誰かがサポートしなければ。

 

「重度訪問介護サービス」というもの自体もまだまだ知られていない。

その名の通り、重度の障害者が地域で生活をするためのサービス。

支援内容は、身体のこと、家事のこと、外出の他、“見守り”という概念もある。

そもそもこのサービスを担う事業所が少ない。

=重度訪問介護サービスを利用するに該当する方でも、

居宅介護サービスを利用する…という流れに。

ニーズに適したサービスが提供できなければ、結局は生活=“我慢”…。

生きる(活きる)ことを我慢することと、欲を我慢することは違うと思う。

 

移動支援は、外出のサポートである。

障害児、者ともに、これもニーズが高い。

そもそも身体的にひとりでの外出が困難だから、+そこにご本人の経験値を高めること、家族のレスパイト等、

目的は個々様々であるが、ニーズが高いという実状自体把握されているのか疑問。

 

それらのニーズに応えていこうとすればするほど、トリアージしていくことが忍びない。

特に1対1のこのサービス、

人材にも限りがあってなんとかならないものかと思案の日々。

いち事業所の努力では限界。

 

そしてそして、

社会の縮図的なものにも多々遭遇。

“医療的ケアの壁”

“強度行動障害”

“8050問題”

“親亡き後”

“ひきこもり”

“依存症”…

 

そんなキーワードも耳にしたことはあり、

さらっと関わってしまってきていた課題に再度直面しているのは、

今の自分達だからこそ直面しているとポジティブに解釈。

 

まだまだ考えなければならないことがたくさん。

まだまだやらねばなことがたくさん。

まだまだこれから✧

三年目のYOLOもどうぞヨロしくお願いいたします(●´ω`●)

2021.08.16

炎上?

 

ソーシャルメディア界隈では騒動がない日は無い。

リアルタイムで情報が入ってくる現代では、それについて民衆が議論する機会も多い。

それはそれで良いことではあるが…

 

ポリティカル•コレクトネス

人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。1980年代ごろから米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当であるという考えのもとに使われるようになった。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見・差別をなくすことを意味する場合もある。

 

キャンセルカルチャー

個人や組織、思想などのある一側面や一要素だけを取り上げて問題視し、その存在すべてを否定するかのように非難すること。文化的なボイコットの一つ。

 

ルサンチマン

社会的な弱者・被支配者が抱く、強者・支配者に対する怒りや憎悪、嫉妬などの感情である。ニーチェはルサンチマンを「弱者側の道徳感」と捉えた。弱者は強者に対する憤りを行動に移せない。そのため弱者は、想像の中で復讐心を膨らませて心を慰めるのだいう。

 

人は失敗するものであり当然失言もある。そのことは誰もが身に覚えがあるはず。

 

・あるコミュニティで問題無く通っていたことが、別のコミュニティで問題になること

・その世代での共通観念というものもあり、今更変えられない(変えることが難しい)考え方

・そして、思っているのはまだしも、言葉(行動)に出してしまうことはNG

 

とかがある。

 

他にもあるだろうが、これらは本人だけの問題だといえるのだろうか?

そして一回の失敗で社会的に抹殺される正当性とは?

その一面だけみてその人の全てを否定してはいないか?
 

現代のネット社会は、それらに対して“正義”を振りかざし、完膚なく叩き潰す力が働きやすい。

ソーシャルメディアでは民衆は扇動されやすく、ルサンチマン的な流れに乗せられやすい。

そんな見せしめで今日も消えていく者たち。

 

そもそも、それって本気で問題だと思って乗っているのか?が疑問。

 

差別反対!とは声高に叫ぶけど、その権利の陰で取り残されていたり、割り食っている人々のことまで考えられているのか。

ダブルスタンダードな意見も多く目につくのは、やはりルサンチマン的なガス抜き勢が多いという証拠?

そんなものであっても多数派に入っていたいのだろうか。だって社会は何も変わっちゃいないぜ?

 

ルサンチマン(2)

例えば、有名人のゴシップ・醜聞・スキャンダルの類に(直接的には無関係なはずの)人々が過剰なまでに反応して大騒ぎするのも、ルサンチマンの感情が根底にあるためと考えれば腑に落ちる。自分より恵まれている有名人に対する嫉妬心、憎悪、復讐心。これが自分と同じ境遇の、自分と同じルサンチマンを抱いた人々と、ひそかに一致団結した場合、大きな炎上騒ぎとなることも少なくない。

こうした感情の機微を、ニーチェは人間の本質であるとし、批判せずむしろ肯定的にとらえている。

 

確かに、『社会とは、人とは、こんなものだ』と捉えておくと気は楽だ。おそらく自分もその中の一人でしかないと。しかし、福祉従事者としては絶望感に苛まれる。

社会的弱者を支援しているが、支援者であっても、弱者側であっても、無自覚に人を差別してしまうところを多く見てきた。

それは“快”“不快”がキーとなっていると感じる。

そしてそれは、所謂、人間の“動物的本能”であり、変えることはおそらく出来ない。

ならば否定してはいけないのだ。

だけど誰だって“不快”側にいたくないはずだ。

そんな自分を棚に上げて他者を否定しているのが人なのである。

 

そんなことを個人でどうこう出来る訳が無い。だから法で一線を引く必要がある。

恣意的な私刑が行き過ぎる社会は、別の支配者が台頭する不自由この上ない世界ではないかと考える。

それだって誰も望んではいないはず。

 

だから、先ずは『差別者である自覚』が必要なのだと思う。

自分が所属するコミュニティ(社会)を守るためにも差別は起こるのだと。

元々、自然にあったものに恣意的な価値付けをし、“不快”を隔離し見えないようにしてきたという人類の歴史を鑑みて、この時代の潮流の是非を見極めていくのが良いのだと思う。

2021.08.11

子どものころと今

子どもたちの中ではちょうど夏休み真っただ中。(コロナの自粛中ではありますが・・・)
自分たちが子供のころの夏休みといえばすごく自由になった気持ちで何でもできるようなワクワクを終業式に感じて夏休みに突入していたのを思い出します。(結局宿題をためて後半しんどい思いを毎年してましたw学ばないねぇ。)

けど、このワクワクって年齢が上がることで変化があったなぁと思います。

小学生の低・中学年・・・みんなと遊べるしプールや公園に行って遊ぼう!(プール後や公園だ遊んだ後は、多くファミコン持ってる人の家に入り浸っていくんです。)

小学生の高学年・・・プールやゲームもいいけど、男子・女子集まってぺんた(福井で一番有名な夏祭りの通称)行こう!(先生に見つからないようにしたり、見つかると散らばって逃げるみたいなことがありました。)

中学・高校・・・○○さんと一緒に海とか祭りに行きたいなぁ、新しい出会いないかなぁ。(結局誘えずじまい・出会いなんてないまま夏休みが終わった!なんていうのをよく周りから聞きました。)

ここで上げたのはほんの一部ですが、だんだんと集団行動から気になる人と行動していくようになっていったのを覚えています。

振り返ってみると、みんなで遊ぶのもいいけど、心が成長するにつれ好きな人や仲間が出来て、普段よりも長く特別な時間を過ごしている。その今を大切にしたいと当時は思っていました。


秋○康さんがこう言ってました。

「基本的に恋愛などの感情なんて昔も今も変わらないんです。ときめきとか、ふられたときのつらさとか。だた、昔と今の違いはコンテンツが違うだけ。昔は手紙だったところが今はLINEになった。家の電話がスマホになった。伝え方が変わっても、心の中は何も変わっていない。AKBの歌詞を書く時にはその時の経験を思い出しながらいつも書くんです。」

今の子供たちはコロナ禍でどんな夏休みを過ごし、そして、自分たちの世代になったときにどのように思うのでしょうか?

2021.08.06

8月ですよー!

 気が付けば夏本番、8月です☆

暑い日が続いておりますが、お身体は大丈夫でしょうか?

毎年のように最高気温が更新されていますね;

先日も体温より高い温度を観測した地域があったような・・・

少し動くだけで汗ばむ・流れる季節。(水分・塩分補給は適度に☆)

移動支援にて外に出る事も多く、日焼けスタッフも増えてきました。

暑い暑いと毎日言いながらも、案外暑い期間は短いような。お盆を過ぎれば少しづつ涼しい日も増えてくるのかしら…

巷ではオリンピックに盛り上がっていたり、はたまたコロナ感染のニュースが流れてきたり、忙しいですねー

そんな話題に流されて、また今月も早々と過ぎていくのだろうなぁ。

この暑い時期、大変なこと…個人的には“調理(料理)”が特に大変だと感じていて。

利用者の方から野菜を頂くこともあり、事務所でもその日のスタッフが作っていたりもしますが、

炒めたり茹でたりと台所に立つとまー汗が止まらない(笑)

それでも作らねば、生で食べられるものばかりではないし…

自分でやるようになると実家で毎日食事を作ってもらっていたありがたみに気付きますね…

まだまだ暑い日は続くでしょうけれど、夏バテせぬように栄養・睡眠(休息)をしっかりと!

よく食べ、ゆっくり休み、体調を整えねば!

皆さま夏の暑さに負けぬよう、ご自愛下さいませ~☻

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