YOLO日記

2020年12月

2020.12.29

今年ラストのYOLOブログ

この一年、沢山の出逢いと別れが有りました。

別れは悲しいものです。

だけども、やっぱり出逢いに代わるものなんて有りません。出逢えたから悲しいのですよね。

 

元々、かつて知ったる4人プラスαの仲間とで始めたこの事業所。

初期は、不安と期待入り混じる中、過度な負担も今だけだと言い聞かせながら。

そこからも順風満帆とはいかずですが、人の人生に関わる重苦しさも、自分の生きてきた道が誰かの役に立つ実感も、全て自分が成長するための学びになっています。だから、自分達の周りに起こった出来事は、全部が自分事なんだと感じています。

枠に囚われたキレイな支援だけじゃ人は生きられないんだなと強く感じました。それは自分も同じことだなと。

『福祉(人助け)はシュールなものだよね!

それが、いまや17名の大所帯の仲間達となったわけですから、助けを求めれば応えてくれるスタッフは必ずいます。

 

今後も、当然に別れはあるのでしょう。人生に迷い、より良く生きる為の別れも。

人生一度きりですしね。

それでも、思い出して懐かしんで『あの頃はなんだかんだで楽しかったな』何時でも戻れるYOLO”でいたいです。

 

来年も相変わらずのYOLOのままで、療養中の仲間も戻ってきて、泣いたり笑ったり、ワチャワチャとやっていきたいものですね。

 

最後に一つ、YOLOYou Only Live Once.の頭文字を取った言葉です。

読みは『ヨロ』って言いますが、まだまだ「よーろーさん!(養老さん?)」って言われます。(福祉だから仕方ないかな?)精進して行きたいと思います 笑

誰もがどんな立場であっても『自分の人生を歩む』ためのお手伝いが出来るよう、来年も頑張っていきたいと思います。どうか宜しくお願い申し上げます。

2020.12.21

年末だからこそ・・・

 あっという間に1年が過ぎようとしています。

今年・・・なにがあったっけ?いろいろあったんだけどすべてにおいてコロナに翻弄された1年でした。

毎年毎年年末を感じるのはこの時期から始まるテレビ番組の特番で年末を感じています。

「2020年傑作選!」とか「M-1」とか「明石家サンタ」とか「有馬記念」とか・・・。

ソーシャルメディアが生活の一部になっている現代、唯一季節を感じれるテレビ。

テレビってそういった面もあるんだろうと思います。

また、この時期になるともう一つ思い出すことがあります。

私の恩師?代表?である高畑英樹さん。

よく、年末になるとM-1の話題でよく話をしました。

「今年の○○はいまいちやったと思わん?」とか「今年の○○は切れが良かった!」などなど。

笑いに関しては鋭く見ており、審査員?と思うぐらいの感想を話していました。

彼は「笑い飯」「アンタッチャブル」「麒麟」「フットボールアワー」などをよく好んでみていました。

2004年のアンタッチャブルは神だ!と言っておられ、介助の仕事が終わると録画していたビデオ(まだビデオです)を見てはいっしょにわらっていましたっけ。

そんな一緒に笑っていた彼は2009年の5月13日に事故で亡くなりました。

世間と福祉というものをなーんにも知らない自分に障害福祉と世間というものを教えてもらい、そして育ててもらいました。

時には大みそかの夜に恐ろしいほどの説教のメールをもらったり。(おかげですごく落ち込んだ年越しでした。)

時にはできない自分に「しゃーないやん」と言ってくれて認めてもらえたり。

時には「パソコン壊れたから直して!」と依頼を受け、直す仲間であったり。

時にはいろいろと今後の福祉というものを夜な夜な話し合い、時に言い合う場面もありました。

けど、今あの時の言葉を思い出すと受け取り方がまた違うなと感じます。(前のブログと重なる部分もありますが)

2020年が終わり2021年になろうとしています。

次の1年をどのように生きていくか。次の1日をどう過ごしていくか。

前を向いて一歩ずつ過ごしていきたいと思います。

2020.12.16

師走です

今年ももうあと半月ほど…

早いですね、ついに雪も降りましたね!1月に入ったらもっと積もるかなーと、心構えもしながら…

12月になると毎年、今年1年の振り返りをひっそりとしております。

(どんな1年だったかな?と、総合的に)思い返してみて…

公私ともに、新しい出会い・別れ・再会と、盛りだくさんだったように感じます。

働く場を変えながら動き回り、バタバタと過ごしていた1年間。

その中で色んな人と関わり・話して、たくさん感じて。

楽しかったことも、後悔していることも多々あり…でも

戻ることは出来ないし、(過ぎたことを)変えることももちろんできなくて。

そうしながら思い出すのは(昔どこかで聞いた)パズルの話。

人それぞれ、持って生まれた今生のパズルがあって、そのピース数も、完成する絵もみんな違う。

1つのピースが1日だとすれば、つまらない1日、失敗をした1日、ものっすごく楽しかった1日、と色んな1日があって。

その1つ1つ繋がっていくピース全てが、最後に完成する1枚の絵になる。

1ピースだけでは何のことだか解らないけれど、繋がっていくと(年月が経つと)少しづつ意味が解ってくる。

良かった日も悪かった日も、どれも大事な、自分の絵に必要な1ピース。 …ざっくりとこんな話(笑)

自分の絵がどんなものか・何ピースかも解らないけれど、どんな日も、1日も、起こった出来事も全て必要なものだったんだと思う。

私自身も着々とパズルと作っているんだろうな…全てを忘れずにいることは出来ないけれど

良いことも悪いことも、記憶に残していかないとな。と思います。

“今までも”も“今”も“これから”も、自分なりに大事にしていけたらと思いながら(´ω`)

良し悪し、どちらも次に活かす為にじっくりと“振り返り”。

来たる本厄に備えます、、、!!

2020.12.09

「居場所」ってなんだ?

12月3日~9日は障害者週間でした。

あまり“障害者”を特別視したくない反面、

だからこそお知らせしておきます。

1975年12月9日に「障害者の権利宣言」が国連で採択されました。

障害者の生活に変化をもたらしたのはこの頃から。

じゃ、それまではどんな生活をしていたの???

…それはまた改めて☆彡

 

さてさて…

「居場所」には二つの意味があります。

ひとつは、自分があるがままに存在できる場所。

一番思い浮かぶのは家庭でしょうか。

ふたつめは、自分の持っている能力を発揮できる場所。

それは働く場所になるでしょうか。

 

自分があるがままに存在できる場所。

それは、一人暮らしなりの、核家族なりの、大家族なりの、他の場所ならそこなりの。

おうちの中でも虚無感を抱いてしまうのは辛いものです。

  

そして、自分の能力を発揮できる場所。

『人が動く』と書いて『働く』

いろんな経緯や流れがあって、今の仕事に就いていると思うんですが…。

最初から確たる自分の強み(ストレングス)を持ち得てその場にいる人は少ないと思います。

だからこそ、スキルアップしていく、ストレングスを見つけて磨きをかけていく努力も必要であり。

 

「自分の居場所は自分で作っていくもの」

そんなことを言ってしまえば冷たく聞こえるかもしれません。

福祉の天敵は“孤独”や“孤立”であります。

福祉職はそのような人をつくらないことも使命。

しかし、今はいろんな居場所づくりも盛んに取り組まれてはいるものの、

孤立している人達は自らそのような場に出向くことにも抵抗を感じていたりします。

結局、自らが「アクションを起こしても良いかな…」という気持ちにならないと、

強制してしまうことになりかねない。

あと、SNS等のツールが広まっているとは言えども、

そのような人達こそ使いこなせているとは言い難い。

 

居場所は自分のタイミングで、

自分でアクションを起こして、

結果「ここだ(今のところはここだ)」って思えるものかもしれない。

けど、

点回帰をし(辛い原因を考え)、

状維持をし、(そのままでいていい自分も認め)、

自分が気になれる事柄を考える。

(あ、三つのゲンだ✧)

たしかになかなか自分一人で考えるのも難しく…

それこそ誰かと考えていけるといいよね。

人と話すから自己覚知できることがたくさんある。

 

2020.12.07

“携帯電話”名称変更

 (※あくまでも自分を含めの話であることを前提に…)

家の中でも外でも、外出先も移動中も、仕事の合間も、

みんな携帯電話(スマホ)と向き合っている。

ほぼ大多数が「依存症」ではないか??

 

そらぁ~、テレビの視聴率もダダ下がりだわ。

同じ画面を共有して、あーでもないこーでもないなんて会話すらないんだもの。

同じ空間にいたって無言でそれぞれの携帯と向き合っている。

飲食店にいても、電車に乗っていても、

異様な光景に感じているのは自分だけだろか…。

その中に自分がいることもすごく孤立を感じる。

 

社会の変化とともに価値観は多様化して、

その価値観を発信したり共有したりするツールでもあるけれど。

一方で、虚無感や孤独は拭えなかったり。

目の前に人がいるのに人がいない社会である。

目の前に変化があるのに、画面越しの変化にばかり気を取られ。

なんか寂しいねぇ…。

(「それはあんたの価値観や」と言われてしまえば元も子もない…)

 

 

そもそも、スマートフォンとは「Smart=賢い」携帯端末。

電話という機能はそのごく一部の機能にしか過ぎず。

社会の流れには抗えないにしても、なんか別な名前ないかなぁ…(笑)

2020.12.03

自立生活(一人暮らし)って??

 『自立生活。考えてはいるけれど

と、その生活が想像できなくて一歩を踏み出せないでいる方は多いはず。

環境やライフスタイルが一新する訳ですし、不安は当然ですよね。

 

『どんな方が自立するの?』

実際、過去のケースでは、『とにかく自由になりたい!今すぐにでも生活を変えたい!』と熱き思いで飛び込んでくる方も少なくなかった印象です。

入所施設での集団生活や、親元(実家)での生活等の、『ルールに縛られる抑圧された生き方がどうにも…』 なんて破天荒型な人の方が自立しやすいと言えると思います。

これは『難しいことなんて考えなくても自立は出来る!』って、一つの根拠にもなっていますね! 笑 

 

対極的に、一つ一つ足場を固め、じっくり先を見据え、タイミングを見計らって、いよいよ自立!って方もいらっしゃいます。本当に納得してからの移行ですので時間が掛かります。それこそ20年計画なんて話も。

だけども諸行無常な世の中。思い描いていた理想や環境なんてものは日々変化して行くものですし、受け皿に関してはコントロール出来ない事も多々あります。また、他者である支援者にもある程度は妥協(歩み寄り)しなければならない部分もあります。

だから、思い立ったら吉日だ!これがタイミングなんだ!』と自立するのも正解だと思います。

 

『自立したからってパラダイス☆な日々では無いかも』

これは、どこで誰と生活していても、社会に生きている限りは、自分100%の生活にはなりえません。だから理想と現実のギャップで苦しむ前に、『そういうもんだ』と理解しておく事も大切です。

なんて堅いこと言いましたが、実際は一人暮らし(介助者と)なんで、家の中では『ワタシの城!』です。相棒である介助者へ最低限の配慮(遠慮ではないよ!)さえあれば、その生活に対して誰も口うるさくは言わないものです。

それこそ『こんな夜更けにバナナかよ!』な生活も可能です 笑

 

「自分は障害が重度過ぎてと及び腰な方も重度訪問介護』(重度障害者達の血と涙の結晶!)が有りますので、楽しく生きておられる方も多いですよ!!

重度な方に向けた長時間(24H可)の居宅介護制度

 

You Only Live Once

どんな立場であっても『人生は一度きり』

どのタイミングであっても、行動した結果しか得られないのは健常者も障害者も同じですよね。

「いつどうなるか分からない。だから今!」

と、自分の可能性に賭けてみるキッカケになるのなら喜ばしいことです😊

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