YOLO日記
2024.06.25
コミュニケ~ション
この時期はお墓参りに行かなきゃと思いつつ、
日々あれこれの言い訳で行けずじまいでいる。
(昨年亡くなった父のお墓諸々もおざなり状態…ゴメンよ…)
亡くなった人との対話は、
日常の振返りの役割をもつのかもしれない。
「これでいいかな、これでいいよね」と。
さて、そんな対話
生きた者同士の対話をコミュニケーションと言う。
検索してみると、
『社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。』
その媒介は、言語はもちろん、文字、身振りも。
様々な媒介を通しての複雑で頻繁な意味・内容の伝達交換を行うことによって、
社会生活(共同生活)が成り立っている。
ここで一言。
コミュニケーションは難しい(-ω-)
親子、夫婦、友達、同僚、上司、お客様、はたまたコンビニの店員さんとか一期一会の人とも。
福祉分野でも「対人援助とコミュニケーション」という授業もあったりする。
コミュニケーションで大事なのは意思疎通、分かり合うなので、
一方的ではダメ。
それだけ気を付ければ良いかというとそうではない。
・信頼関係の構築
・伝える力
・聴く力
・理解する力
・動作や話すペース
・相手の言葉を復唱する
・結論や目的を最初に伝える
・さまざまな人と話す機会ももつ
そこに双方のその時の感情も入ってくるので本当に複雑である。
日頃の信頼関係があっても、
相手が怒りや悲しみの感情を抱いていたら、
普段の何気ないやり取りもギクシャクしてしまったり。
それでも人間はそのコミュニケーションたるものをめんどくさがってはいけないのだ。
自分の伝えたいことを整理して相手に分かりやすく伝え、
相手の思いも傾聴し、
それを分かろうと努力し、
対話をするのに相手に良い環境か双方考え合い…ということを。
ただ、そんな努力をしても、誤解というものが生まれる悲しさとも付き合いつつ…
あの番組のチコちゃんも言ってた。
「恥ずかしいという感情は、自分の居場所を守るため~」と。
人間は社会的な動物で他人の存在がないと生きていけないという特異性があって、
そうなると、社会の中の自分の居場所を確保して、社会の一員でいられるようにしておく必要があると。
例えば、知らない人に急に声をかけて変な人だと周囲に思われてしまうと、
社会の中で自分の評価が下がる可能性がある。
=社会から見放されてしまうかもしれない懸念
そうなってしまわないようにする信号が「恥ずかしい」という感情らしい。
…さぁ、今週末はYOLOキャンプだ❗❗❗
笑いのコミュニケーションの予感( *´艸`)