YOLO日記
2024.12.20
もし「人生全然うまくいかないな」と思っているなら
本当の話をしよう
“多様性”を声高に叫ぶ昨今ではあるが、実は社会は逆の方向に向かっている。
悲しいかな『障害者枠』というのもができ、非障害者者が『一般枠』となっている。
これ実は加速しているんだよ
そのうち『多様性枠』ってものが出来るのかもしれないよ。(実はもう出来ているとか)
何故か?
だって皆んなちゃんとした人からサービス受けたいでしょ?
ちゃんとした製品を買いたいでしょ?
ちゃんと接して欲しいでしょ?
この“もっともっと”っていう気持ちは紛れもない人間の欲求(本能)なんだね。
これは多様性側の人たちだって同じ。そう本音。
人々の心の中は多様性が何だっていうのを理解してはいない。他人事とすら考えている。
むしろ、理解したくないということかもしれない。
だから社会は否が応でも質(向上)を求めてくる
今現在、“多様性”なんて言葉は耳障りの良い言葉でしかないのだ。
実の所、どの会社も“ちゃんとした人”以外雇いたくないんだからね。
『多様性でもなんでも良いけど、仕事だけはちゃんとして欲しい』
こう思っている。
“多様性”がちゃんと仕事に従属出来るかよってんだよ!(これは極論か)
この本能的な分断は無くなる気がしない。
だけどちょっとだけ足掻こうか
「人生うまくいかないな」
最底辺だった自分だからこそ分かる。
他者に秀でるものは無かった。
だから腐るのは分かるのだが、きっと自分自身で成長を止めてしまっているのだろう。
だから今の相対的評価なのだろう。
今の評価を甘んじて受け入れたところから何かが始まるよ。
成長するために
『一番認めたくないことを認めれば、あっという間に成長する』
人はそれぞれに“コダワリ”を持って生きている。
その“コダワリ”が時として足枷となり、自分の足場を崩してしまうことがある。
その時、その“コダワリ”は果たして必要なモノなのかという気付きが大切。
“コダワリ”を守ることが生き方となってはいないか?
生きて行くための“コダワリ”なのかどうかと考えること。
その“コダワリ”を俯瞰して評価し直すことで本当のあり方が見えてくる。
停滞している多くの人がこれだと思う。なかなか捨てられないね。
ゴミだと分かっているのに。ゴミだって言われるのに… え?ゴミなのこれ。
歩を止めるな
『言っていることでなく、やっていることがその人の正体』
コミュニケーションは人を救う。
コミュニケーションの基本は相手とのキャッチボール。
上手く出来れば相手を喜ばせることができる。
コミュニケーションの次は行動へ移すこと。
行動出来ないでいるなら“口だけの人間”となる。最低の評価だ。
上手く出来なくても、やる気概を見せること。やる人間には人は信頼するものだ。
次もやらずであるならば人は見限るであろう。
つまりは相手が求めることを与えられるようになること。
『やることやっている人はカッコイイ』これ本質。
指摘された事実に否定/反発するでなく、受け止めて行く勇気。
変化することを恐れない心意気は他者に響くもの。
『認められる』とはこういう行動を見せること。小さな一つ一つの積み重ね。日進月歩。
振り返った時に誇らしくなれればいい。そんな程度でよい。
考えていることを具現化しようぜ。
ある双極症のスタッフが職場復帰後に言った『日々、毎日が勝負』と。
これは依存症の『回復し続ける』に近いと感じた。
習慣化させること、環境に慣れていくこと、その体力をつけていくこと。言わば暴露療法。諦念的。
やる体制が整ったら覚悟を決めるだけ。
『人生という摩訶不思議な化け物と闘う』中丸タケヒコ
先手必勝と。
そのキズを守るための一生としていいのか?
それを唯一の武器とする必要はあるのか?手放せよ。
障害/病気の苦しみを矮小化してはいけないが、これだって本質。
上手く行ったとしても地獄は誰にでもあるもんだ。その前提で向上することを選べばいい。
メリクリ〜⛄️良いお年を〜🎍