YOLO日記
2025.05.05
ラストマッチ
4月27日 横浜アリーナ
2人の女子プロレスラーがお互いの引退をかけてリングに上がりました。
中野たむVS上谷沙弥
女子プロ史上最大の戦いゆえに上谷の勝利。
中野たむが引退しました。
5月1日 東京ドームホテル
1人の女子プロレスラーがアイコンと言われるほどのネームを捨てて新たな戦いの場に上がりました。
岩谷麻優
育ての親が立ち上げた新たなリングに希望を託して古巣のリングを去りました。
5月4日 福岡国際センター
2人の男子プロレスラーが退団しました。
今年の2月から会社との契約や今後について話し合っていった結果の退団。
内藤哲也・BUSHI
新天地を求めて19年上り続けたリングをいったんおりました。
「極悪女王」を機にプロレスというものに目が向けられるようになりました。
今ここに挙げた団体のトッププロレスラーたちは俗に言われる「エリート」プロレスラーではありません。
岩谷は2年間ひきこもった先にプロレスを見て入団しました。
中野たむもアイドルとしてデビューしたがプロデューサーに7回も逃げられ路頭に迷っていた矢先にプロレスと出会いました。
内藤哲也もプロレス愛が人一倍あったにもかかわらずデビュー後は観客からブーイングされ続けました。
どの人も決して思い通りの人生を歩んでいない。
そんな中で彼・彼女たちはどうやって立ち上がり、トップレスラーとなったのか。
3人のコラムによると信頼できる仲間や上司(育ての親)を信じて動き・耳を傾けたことです。
中野たむは引退をかけた上谷とは先輩後輩の関係でした。
ラストマッチで戦うまでは上谷はたむのことを憎んでいました(詳細は是非プロレスを見てください)
けどもラストマッチ後の2人には憎しみではなく戦いを通じて何か一つになった信頼が見えました。
岩谷も育ての親が会社のいざござがあったときに立場上ついていけなかった。
役割を果たした後、しっかりと後追いしていくことっていうのは岩谷にとってプロレス人生=育ての親への恩返し
という思いがあると話してます。
内藤も王道スタイルを捨てて観客たちが求める「制御不能」なプロレススタイルを学び、メキシコにわたり体現していきました。
日本に戻ってからもそのスタイルを崩さず大きな功績と結果を作っていきました。
プロレスは一人で出来るわけではありません。
バックブリーカーやラリアット、ドロップキックなどの大技を相手に与える・受けるということは対戦相手にも命を預ける・託される行為になります。
それをプロとしてこなすことというのはとてつもなく大変なことでもあります。
それは仕事でも同じ。
仲間(同僚)の声に耳を傾けまず受け入れていくこと。
相手を信じて自分のありのままをさらけ出していくこと。
そして・・・自分の思いを伝えること。
YOLOも新し事務所になりましたし、居宅介護以外にも居住支援事業なども行っております。
身近なお困りごとから悩みも含め、「生きづらさ」を感じたときには立ち寄ってみてください。