YOLO日記
2020.04.16
救命ボートへのチケット?
コロナであろうが、何であろうが、なくすことが出来ない仕事に就いている人のつぶやき。
世の中は今、それぞれ立場は違えど大変な事態に。
”職業に貴賎なし”ってのは当然なのですが、ただ私が就いている職業ってのは、重度障害者の生活をマンツーマンで看る仕事。私が行かないと生命維持すらままならないという、人間の尊厳と生存権を強く意識せざるを得ない仕事です。
※生存権… 簡単に言うと“その人らしく生きる権利”
医療が命を優先するなら、福祉はその人の生活という営みに寄り添う。更に、障害者福祉は、『人生とは』『人間とは』を追求する活動って言えるかな。
幸い、皆さん体調維持できています。でもこんな中ですので、ちょっと気分が沈む事も当然ありますよね。YOLOでは、介助者・利用者共に、ネガティヴに陥った者を励まし合う雰囲気が有るのが救いです。もし、それが無くなったら、、、 いや、この調子で行きましょう!!
人の生活をサポートするのに介助者が潰れてしまったら元も子もないのではないか。。。
しかし、人手不足に輪をかけて大穴が空いた障害者の生活は人として許されるのだろうか。。。
もっともっと自然に、“放っておくことは出来ない”って思える付き合いとは。。。
この極限状態だから解りやすい形となって見える事かも知れませんが、実は長年ずっと考えていた事だったりします。
有事の際には、誰もが”他人より自分”なのは責められないこと。でも、それでは成り立たない生活(仕事)ってあるのです。
お互いこうなる事を想定して、普段から心掛けていたことってありましたか?
地域の中で自分の仕事(生活)って理解されていたかな?
介助者(障害者)と心のやりとり出来ていたかな?
自分の仕事(生活)が成り立っている仕組みって考えた事あったかな?
普段からの地道なやりとり(繋がり)がこんな際に形となって現れます。お互いちゃんと人として付き合っていくこと。そして薄れがちな隣近所というキーワード。そんなこと伝説の運動家も言っていましたね。
当然、福祉従事者として強く弱者の生存権は意識しています。それでも介助者だって人だという事実は覆せないこと。
心が離れた時、人が離れた時、障害者の生活が崩れていくのではないか。
それを強く感じる今です。誰も知らないその生存権、誰が保障する??
さぁ、気が付いたなら動きだそうか。