YOLO日記

2021.06.25

関係性は永遠の課題(楽しみ)

 あ〜 夏はまだこれからだってのに茹だっています。なんか酸素が薄いなダルいな

 

 

さて私、障害福祉の仕事は2003年(支援費制度)からだから18年目! 

長くなって来ましたよ。元々、福祉に興味は無かったのですがね^^;

母親が社協に勤めてて、従兄弟が自閉症で、自分は引き篭もりだったんですが、だからと言って「福祉だね!」とはならなかったのです。

障害福祉にはたまたま誘われてやり始めたのだけど、何も持たない自分にとって、その時の事業所の仕事(やり方)が楽に感じたのです。

『言われた事だけをやれ。むしろ言われてないことは一切するな!』

なんて感じでしたから、引き篭もり上がりで、自我(価値観)が崩壊していた自分にはやりやすかったのでしょうか。

 

そんな中、ただただ年数を重ねて行きました。だから知識・経験値としては一般の福祉従事者には遠く及ばない状態だったと思います。

『勝手なことは一切するな!』というのは、『手足である介助者が意思を持つということは、いつ手足が頭を切り離し暴走しだすか分からない』という介助者がコントロール効かなくなる事への恐れ。重度障害者自身の自由を守るための戦略な訳です。

当時はそんな事知らず、ただただ言われた事のみを黙々とやっていて、とても楽だなと思っていました。でも他の介助者はというと、そうでも無い様でした。この自我を持ってはいけないという事が、とても苦しい事だと知ったのは、介助者・利用者の全体を見る立場になってから。

 

その話はおいおいするとして、その時は『何故、揉め事になるのだろう?言ってる事聞いとけばトラブルなんて起こらないはずだろう』と思っていたのですがね。

そんなトラブルに介入する様になってはじめて、この仕事の意味はと知ろうとします。なにが正しいのかと。

勉強すると、介助者と重度障害者の関係性は、今も昔も変わらぬ緊張感の中に紡がれてきた歴史があるんだなと知ります。

それがとっても面白い。

自立生活史50年の中で、『青い芝の会』『新田勲』『高橋修』『自立生活センター』と、それぞれのやり方で介助者と付き合って来たのだなと。

それとは逆に自己責任論ってのも一つネックになっているよな、なんて。

その上、更に個別で少しずつ違うのだろうと思うと途方もない笑 その途方もない事がこの仕事を楽しく(?)続けている要素なんだろなと思っています。関係性が悪いと”利用する側も介助する側も苦しいもの”だから、双方がこの難問に悩みつつ、楽しみながら考えていくスタンスでいたいですよね!

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