YOLO日記
2026.09.08
この人には、世界の何が見えているんだろう?
最近、生物学者ユクスキャルが提唱した「環世界(Umwelt)」という概念を知った。
”すべての生物は、自らの感覚器や身体を通して独自に知覚し、意味づけた主観的な世界を生きている”
という考え方だ。
ふと、これは人間個別にも適用できるのではないかと。
アドラーの「ライフスタイル」にも似ているが、もっと身体や感覚に根差した
『その個体にとっての意味のある世界』
という感覚に近い。
人間の多様性を理解するレンズとしてしっくりきた。
私たちは「同じ人間なのだから」と、無意識に同質性を求めがちだ。
生まれも育ちも価値観も違うと分かっていても、
その先で「同化型差別(※)」に陥ってしまうところを見てきた。
※熊谷晋一郎氏の提唱。「同じ人間なのだからできるでしょ?やるべき!」という要求。
この概念を人間用に言い換えるなら、
「人は世界を見ているのではなく、『自分が見る世界』を見ている」と。
同じ出来事を前にしても、何が問題に見え、何を善とし、何を恐れるかまで変わる。
人の価値観は「認識できている世界(世界観)」によって
規定されるという、成人発達学の視点にもつながる。
人は自分の“当たり前”を他人も共有していると思い込む。
だからこそ「普通」がぶつかり合い、分断が生まれる。
誰もが自分の“当たり前”が正当だと思いたいからだろう。
しかし、「私の環世界は『成長』なんだ」「あの人は『調和』の世界を生きているんだ」と
お互いの枠組みを認知できれば、無用な衝突は減るはずだ。
違いを「異物」ではなく「別の才能」として捉え直せる可能性として。
まずは、その人の世界観を理解すること。
自分の世界を理解されたと感じて初めて、
人は他者の世界にも耳を傾けるし、
自らの世界を広げる安心感を得る。
「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」「どう伝えるか」ってことだね。
支援の現場で感じる不合理な行動や抵抗も、
「なぜこの人にはこの選択が必要なんだろう?」
と相手の環世界から捉え直してみる。
その姿勢が氷を溶かし、関係性の深化や、信頼に基づく提案が届く余地を生む。
マネジメントにおける適材適所も同じ。
何でもこなすジェネラリストを求めるのではなく、
「その人に世界がどう見えているか」を知り、
スペシャリストとして活かす場所を整えたいと思っている。
・人間関係の機微に敏感な人(関係性の環世界)
・細部の違和感を拾う人(観察の環世界)
・全体構造を見る人(概念の環世界)
・競争になると燃える人(成果の環世界)
振り返れば、誰もが固有の力を持っていると感じている。
それぞれの「見えている世界」を前提に采配することこそが、本質的なマネジメントであり、
理想であるプルラリティ(多元性)への実践だと思った。
