YOLO日記
2020.09.04
ここいらで人生を振り返る
今まで自分の生い立ちを語って来なかった。それは褒められた人生を歩んで来た訳ではなかったから。マイノリティだって自覚するからなんだろう。
思えば、小五までしかまともに学校へ通っていない。登校拒否って言葉が一般化するずっと前の話。中学も数ヶ月のみ。確か、高校も同じくらい。
では何をしていたのか?
引きこもりだった。
周りの目を気にして
外に出られなくなった。
自分の将来に絶望していた。
毎日死ぬことばかり考えていた。
理由?
コレだ!と言うものは、無い。
なんだか小三くらいから自然体で生きれなくなっていた。周りが何を考え思っているのかと恐怖を抱いていたんだと思う。とにかく学校へ通うことが辛かった。自分が何者なのか分からなくなった。
引きこもりを抜け出したのは20歳ぐらいの時。
どれだけ人生に絶望していたとしても、なんだかんだ生きて来た。その事実から、死ぬ時まで生きてみようと思い始めた時期でもある。
キッカケは家族の強い扶助。…というより、一家最大の危機を救うため、とある寿司屋へ丁稚奉公する事になった。もう自己にこだわってはいられない。
寿司屋の定休日は月1あるかどうか。朝から日付が変わるまで働いていた。気が付いたら以前とは真逆の生活を送っていた。
1年ほど寿司屋にいて、そこから障害福祉(自立生活運動)の道に入った。これはお客さんからの勧め。
ちょうど支援費制度が始まった年。もう17年ほどこの世界にいる。
他者を尊重すること、他者の人生を見守ること、が自己の無い自分には合っていたのかも知れない。身近な他者(利用者)から生き方を教わったとも言える。そういう意味では素直な介助者だったのだろう。利用者から気に入られることは多かった。人生のリスタート、育ての親は重度障害者達だった。
昨年、色々あって独立する事になった。同じ福祉観を共有する仲間たちと共に。
お陰様でYOLOも一周年。
順風満帆では決して無い。何故かこの仕事(活動)に集まる仲間はキズを持つ者が多い。これからも社会の流れから省かれた・乗れなかった不器用な者たちが集まる場所なのだと思う。それは自分だって同じ事。
『だからこそ福祉を体現できる!』っていうのが理想像。
この世界には、共に生きる技法として重度訪問介護があった。…いや、あるのだということだろう。それに救われた人生なのかもと思う。