YOLO日記
2020.11.02
『ありのままに・あるがままに』
『自分の全てが嫌いだった』
…毎日毎日、ただ起きて、ただ食べて、ただ寝る。見たくもないテレビ番組を延々とただ見るベッド上の生活。ひたすらこの繰り返し。罪悪感で頭がおかしくなる。
「そんなんでどーするの?」 …よく言われたな。
どーする? って言われても…
「甘えてばかりで先のことをもっと考えろ!」と。そんなんだから考えたくないんだよ!!って。
すんげー意固地になってた。あの頃は。
本当は、疲れた分少し休みたかっただけだった。頭を整理したかった。社会はそれを許してはくれないものだ。素直に言えるわけもなく、降りかかるノイズを避けるように、殻に籠るのも必然なんだろう。そうなると出口は見えなくなる。
『幸せは要らない。だから苦しみを消してくれ』
いつからだろう強制的な日々の暮らしが嫌になったのは。上手くいかない苦しい生活を一生続けなければならないのだと気付いてしまったからか。そう生きなければならない圧力を感じていた。 …何故、誰も辛いと言わない?オレだけなのか?
不眠症で朝起きるが辛い。“朝は起きるもの”って当たり前が苦しくて。昼夜逆転も『みんなはこの時間当然のように…』『なぜ自分だけ出来ない?』って自責でまた落ちる。長期間この繰り返しは死にたくもなる。
引き篭もり。希望通りなはずのに、落ち込んで行く日々。 …これが欲しかった訳ではないんだよ。叱咤激励が無ければ理想的な生活になったのか? …違うんだ。それでも自分が自分にプレッシャーを掛け続けて行くんだよ。
なぜズレるんだ、当然なことが出来ない、どこまでダメ人間なんだって。。。何故生まれた?
『もう追い付けない…』 消えてしまいたい…
『捨身』
それまでは“正しく生きる・生きなければならない”という圧力に対し盲目的に応えていたのだと思う。本当は時間がかかるタイプなのに、躓いて止まっていたくても、出来ない。未消化のまま流れにしがみついていく。そんな本音が言えなかった。
思えばプライドが高かったんだろう。
どん底まで落ちる。自分のことなど誰も理解する訳が無いって。どの方法が迷惑をかけない方法なのだろうか。死に場所を考える日々。
だけど、幸か不幸か、そんなプライドなど棄てよう、こんな無意味な命を守る必要はない、って思う起点があり生きる事になった。
最底辺の人間だという自覚を持って社会に出た。何も持たない自分だから否定されても仕方がない、どう思われようと素直に受け入れようと。何時だって消えてしまえるじゃないか。
そこから、なんとなくガムシャラな20年が過ぎた。その間はどうだったか。…時折やって来るプレッシャーと不安。やっぱり実力が露呈するような挑戦は辛く苦しい。壁に当たり死にたい思いが湧き上がる。でも無意味な命… それで越えてきた気がする。
最近、ようやく自分の元来の特性が見えてきた。出来ないこと(苦手なこと)いっぱいあるんだなって。でも以前はプライドが邪魔して、やる前から拒否していたんだ。『出来ない自分』が許せなかったんだと思う。そこを無理矢理にでも、中途半端で情けなくとも、流れの中やって来た。かなり苦しかったが、それが自分だと認める。
そうやって今があるのも事実。自己を守るためだったはずなのに、未来を閉ざしていたのではないかと気が付いた。あまり周りの目を気にしなくなった。
今は、相変わらず時間がかかり、言い訳しつつもとりあえずはやっている。 …お陰様で、だいぶん社会不安症もマシになってきたようだ。
周りが出来る時ならば任せる。認めるよ、出来ないんだもん、仕方ないって。オレのセンスもアナタの方が上手だって言っているさ。素直になったね。
死にたいとは思わなくなった。
『日日是好日』
人と比べて焦ってしまうなら、その人生ずっとそうだよ。誰かに擦り込まれた“理想のレール”なんてもうどこにも存在しないって気付いているだろ?だったらそんなに追い詰める必要はないよ。
とりあえず、周りの目を気にせず、自分なりに気楽に生きていく。振り返った時『前より色々とマシになったかな』って思えるように生きたらいい。社会は急かすかもしれないけれど、自分の歩みでゆっくり地道に行くしか無いんだよね。
たまには愚痴をこぼしながらも、ただ『なんとなく』生きていたっていいんじゃないかな。
苦しくなったら何時だって… ってのは御守りみたいなものだ。ずるずるとまだ生きている。