YOLO日記
2023.07.07
多様性と傲り
社会 → 複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつき。
会社 → 同じ志で物事を行なう集団。同人の会。仲間。結社。社会。
自由に生きたいと思った。
なぜ自由に生きられないのかと悩んだ。
嫌なことをする必要性?
否、避けて、好きなことだけをして。
人間だけが嫌なことを嫌々やっている。人間以外の動物は… 云々。
人間は何故、本音を隠すのかが分からなかった。
でも、それって子供だったってことだね。自我の成熟度ってやつ。
『カンチガイ?』
最近、巷にはそういった多様性(?)に対して『耳に心地のよい』話で溢れている。
そんな自分が肯定されている気がしてとても心強いのだけど、現実はどうなのか。
“建前”の世界に生きる者を社会人というのではないか?
では本音で生きている者は?
この場合、本音の本質は自尊と堕落。
動物的なそれは近代的社会を維持することに繋がらないミクロな感情。
今も昔も建前が人を養い、建前が“社会”を維持している。
だが、堕落者(フリーライダー)の怠惰がその社会を蝕む。そしてその自覚は、無い。
社会人の“本音”は社会継続/発展のためのマクロな言葉であるが、巷では嫌われる傾向がある様に思う。
逆に堕落者の本音で社会の未来は… なかなかそれで筋道作れないよね?
出来ることを惜しむな。やるべき事をやれ。と社会(会社)は言う。
確かにそれは正しいのだろう。
今やどこも悠長に自覚を促す様なことはやれないだろうし、それは自覚(更生)することを前提にしかやれないのだろう。
建前=ルール。
ルールは社会を守るもの。
ルールはルール。仕事は仕事なのだと。
これが原則(現実)であるってこと。
説明不足のこの言葉に反発する気持ちは分かるけどね。大人になれってことだろうな。
共同体に寄生する人、共同体をぐちゃぐちゃにする人。
そんなつもりは微塵も無いって分かっているんだけど、ちっぽけな自己を守って共同体が崩壊するなんてこともあるって少し想像してみて欲しい。だったら、そんな自己なんて捨ててしまえってね。
基礎がなってない未熟者のことを“多様性”や“個性”って言うのは履き違えってやつなんだろう。
『愛せなければ通過せよ』
豊かな時代に陰りが見え、社会を維持する体力が無くなると、パイを奪い合う時代が来るのだと言う。
目を覚まさないでいられるのだろうか。これは会社も同じ。
自覚者からのおんぶに抱っこが続くことは、無い。
誰もが社会(会社)からの恩恵を受けて生きている。生活は社会(会社)あってのものなのだ。多くの人がその繋がりを自覚したなら、より豊かになるのだと思う。
うーむ… σ(^_^;)自分がそうだったって話で、福祉っぽくは無いけど、土台は絶対に必要よなって思う。分かっててフリーライドするヤツは大っ嫌いだけど、分からなくて結果そうなってるヤツばっかりな気がする。その辺に向けてのお話でした。
結局、いつの時代もその土台と器の大きさだけ救える人がいるんだよとかなんとか。