YOLO日記

2023.11.04

癖のあるスタッフだからこそ

今まで福祉やってきて思うこと。

発達障害っぽい介助者って案外多い。

明らかな人から、少し癖あるかな?って人まで。

いわゆるスペクトラムだから誰にだって当てはまる話ではあるが。

 

マンツーマンのこの仕事を踏まえると、自分より利用者さんの価値観を優先することが出来れば、差し当たり問題は無いんだけど、それって自分の癖(特性)に自覚的である必要性があり、なおかつ素直に自省出来る人でなければ苦しい。

だけどこれは中々困難な話でもある。

 

自覚/自省出来ない介助者な場合、利用者さんが介助者の特性に合わせて生活するって事になるんだけど、それは本末転倒だから良しとはしない。

たまに自然にそう出来る利用者さんもいるんだけどね。

でも大半の利用者さんは悲しいかなあんまりお呼びでない。

まぁ当たり前。

組織的にもコントロールが効かないレベルだと非常に困る。テロリストかよと。

これはどこの組織でも同じでまた当たり前の話。

 

と、居宅介護(訪問)は発達特性が強いと向かない職業の一つではあるのは事実として、またここで自分語りをしてみようかと。

 

『発達に偏り』

 

かく云う私も、おそらくASD/ADHD気質が強いタイプです。

夜眠れないし、朝起きれない。ワーキングメモリーも低く、忘れ物が多いし、騒がしい場での会話も出来ないし、気が散ったら仕事すら出来ない。空気なんて読めず、失言多し。マルチタスクなんて何の話?って感じ。

そんで、趣味に没頭しやすい。

車は壊れるまで弄るし、身体も壊すまでトレーニングする。

結果は悲しいことになるのも常同性に対する強いコダワリ故なのかしら。(ただのアホな可能性もw

あと一人でいるのが全然苦じゃないってのも。

 

『適応?』

 

ただ、10年の引きこもり明けだったこともあり、社会に出る上で、最初に暗示を掛けたのは『自分は他の誰よりも無能で底辺だ』ということ。

そういった特性を知ってでは無いのだけど、仕事する上で何を言われても甘んじて受け入れるしか無いって強く考えていた。

だって義務教育もまともに受けていない『誰よりも無能で底辺だ』と位置付けていたからね。

どうにもならなかったらまた引きこもりだっていう背水の陣で。

 

『コダワリの彼方へ』

 

そこから20年以上が経ちました。

学無し、知識無し、常識無し、体力無し、良いところ一つも無しでのスタートだから、他者を観察し学ぶことしか手は無かった。自我をゼロにしていたので、他者に流されることは多かった(受動型?)。

もちろん感情はある。

しかし、湧き上がる感情は抑えて、出来ることをひたすらやるしか無かったと思う。

こんなプライドなんて無価値なのだから。

出来ることとは『休まないこと』と『緊急対応すること』。

休まないことはただの根性。緊急対応はむしろニーズだと捉えて。

その他は、とにかく間違ったとしても指摘には素直にを心がけて。

そんな風に組織にいて、周り観察し、少しずつ人間とは何か、社会とは何かを自分なりに学んできたのだと思う。

 

…自分はこうやってやってきたからこそ、今後もこうやっていくのだと思う。

自身の無能さを知るからこそ、他者に対して甘いのも自覚しているし、指摘することはあまりない。

だが、余れば手放す。

ある意味残酷な所はあると思っている。“愛せないなら通り過ぎよ”と。

 

『身勝手を捨てずに“完成形”などあるものか』

 

半端者であって(これは仕方ない)、だけど素直じゃない(無駄な意固地)ってのは、他人の何倍も苦労するのだと思う。社会人になったばかりなのにプライドが高い者もいる。しかし、素直に吸収するからこそ、生きていける場が生まれるのだとも思う。今誰もが0歳スタートを切れれば良いのに、と思う。

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