YOLO日記

2026.05.08

エゴイズム

好きなこと、興味があること。

人はそれに対して、能動的になれるし、いくらでも時間をかけられる。
自ら進んで突っ込んでいくし、気づけば時間が溶けている。
「やらされている」のではなく、「勝手にやってしまう」状態。
勝手に向上していく。
 
一方で、
嫌いなこと、興味がないこと。
 
こちらは受動的になり、「サボる理由」を探し始める。
言われたからやる。クオリティも安定しないし、継続も難しい。
止まった手を動かすには飴と鞭が必要になる。
 
かなり雑な整理だが、大きくは外していないと思う。
 
問題は、この二項対立をどう成り立たせるか。
 
 
 
興味のないことでも、『責任感』で乗り越えることはできる。
ただ、それが一時的なものなのか、継続するものなのかは別問題。
 
多くの場合、継続は難しいのじゃないかな?
 
内発的動機のない労働には限界があると感じる。
だからこそ問われるのは、「意味づけ」だと思う。
 
受動的なインプットも必要だが、
それがどこかで自分の中に接続されなければ続かない。
環境を考えるならここかなと。
 
これまでの日本的な労働観は、この“接続”を深く考えなくても成立していた。
だが、そんな時代はもう終わっている。
 
  
ここまでは前回の「モチベーション3.0」の続きだが、
今回はもう少し広げて考えたい。
 
マネジメントだけでなく、
「人の幸せとは何か」という話。
 
 
哲学者ハンナ・アーレントは、
人間の営みを「労働・仕事・活動」に分けた。
 
生き延びて、形を残し、他者と関わる。
 
その中で重要なのは何か。
 
ある思想家は「ものづくり(仕事)」だと言う。
 
また、ある芸人は
「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ」と。
  
これらの感覚は腑に落ちる。
 
何かに没頭している時間こそが、
人にとっての“充足”なのではないかと。
それが一番軽視されているのではという意味でしっくりくる。
 
そう考えると、最初の「好きなこと/興味があること」に戻ってくる。
やはりここが一つのキーになる。
 
これは福祉の現場にもそのまま繋がる。
 
 
人は、「自分のできること」で世界と関わっている実感がなければ、
生きている感覚を持ちにくいのではないかと考えている。
 
よく言われる「残存機能の活用」。
しかしそれは単なる機能の話ではない。
 
その人の「できること」「意思」
たとえ不安定(それがどれだけ危うくとも)であっても、
それは尊重されるべきものだ。
 
特に重度の利用者ほど、自分でコントロールできる領域は限られている。
だからこそ、その“わずかな領域”が極めて重要になる。
 
だが、支援者にとってそれは時に煩わしいもの。
非効率で、不合理に付き合わなければならないから。
 
ここでコンフリクトが起きる。
「合理性」「その人の生」がぶつかり、
しばしば両立しない。 
 
 
結局のところ、マネジメントや支援に必要なのは「人間理解」だと思う。
表面的に見れば“きれいごと”になる。
 
だが、考え続ければ「人間とはこういうものだ」という輪郭が見えてくる。
その理解は、他者だけでなく、自分自身にも返ってくる。
 
人生をどう生きるかという問いにも繋がる。 
 
  
一、われらは愛と正義を否定する
 
われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、
それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う
相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。
 
 
自然にやってしまうこと。
 
それを阻害されたときに、思わず反発してしまうこと。
そこに、その人の核があるのかもしれない。
 
「支援とは、マネジメントとは、その核を守る営みなのかもしれない」
だからしばらくは、周囲と自分を観察してみたいと思う。

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