YOLO日記

2020.02.20

自立生活史とYOLO・FUKUI(3)

 その3『現在の自立生活者の足元とは』

 

前回からの続き

 

そういった先達の開拓時代があったから、現在では重度障害者でも地域で自立生活が出来るような時代にはなりましたとさ!!

が、しかし!今もまだまだ障害者やヘルパーの平穏で自由な生活の保障を担保するものって無いんだよね

なんでだろ?障害者も同じ人間では無いのかー!? 

やっぱり綺麗事抜きに、※世間では『生産性』がなんだとか言われているんで、同じ人間とは認められていないってことなんだろな。まだまだ闘争(ふれあい)の歴史は続くのです。

資本主義的に露骨に言うと、ヘルパーっていう生産性をも奪っている。

※国は”憲法11条、13条、14条、25条あたりに権利を謳っているはずなんだけど、まだまだ『不断の努力』が必要なのだろね。

 

だから相も変わらず、障害者達は支援者(ヘルパー)に遠慮した生活をしている。もちろん、障害者達も色々考えて、それを払拭するために"自立生活センター"(米国70年代に発祥。日本へは80年代に輸入)って言う障害当事者団体を作ったんだけどさ。

障害当事者が組織のイニシアチブを取り、組織的に介助者(健常者)をコントロールしていくという団体。要は障害者と健常者の力関係の逆転。

そこは、当事者主体のルールを徹底させることで遠慮を減らし、主体的な生活を可能にしている。でも活動しない(出来ない)障害者には辛い組織かも。。凛としてなければならないからね。健常者にナメられたら終わってしまう危険性を孕んでいるんだよね。特にカリスマ的な障害当事者がいなければ脆い可能性がある(一般の会社と同じと言えるよ)。組織的にカチッとさせる力量は障害者と言えども絶対必要な組織です。

 

障害者達が命を賭けた自立生活運動が始まって約50年。ちょっとずつ良くなっていっているのは事実ですが、ヘルパーの誰かが欠けたら障害者の生活は破綻するっていう脆弱なシステム(報酬体系等により)なのは変わらず、当然、障害者はヘルパーを選べない。それでも選ぶ!ってならそれ相応の制約ってのが出てくる。制約ってのも『生活がスムーズじゃ無いから歯痒い』程度じゃなくて、代わりのヘルパーいないから生活そのものが成り立たないっていうモンだ(特に地方ほど)。

やっぱ懐深い精神で、主体的に

ヘルパーを育てる!惹きつける!

って風に自立してないとまだまだ大変なのは確かだなぁ。

 

結局、マイノリティはどこまで行ってもマイノリティ。吠え続けていないと抑圧される運命なのは絶対よね。

フーム、これが

『われらは自らが脳性マヒ者(障害者)であることを自覚する』

ってヤツなのか。。。

 

じゃあ、YOLOってどう言う組織なの??それはまた別の話

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