YOLO日記
2026.07.29
美(成長)とobject化
『美とは客体である』
と、三島由紀夫の本の一節が目に止まった。
美はオブジェ(object)である。
それもケースにしまわれて、触れることの許されないものほど美しい。
そして、それは手に入れた瞬間から色褪せていく。
三島と美輪明宏の関係を勝手に想像しながら、
「叶わないからこそ美が保たれる」という三島の美意識と、
呼応する美輪に、思わずウームと納得してしまった。
自分の大切な思想や美意識を永久保存するために、
あえて破壊的な道を選ぶようなところがあったのかもしれないなーとか。
(三島のことはほとんど知らないので、突っ込まないでね!)
という妄想から、今回の本題の
『オブジェクト化(object)』ってどゆこと?と。
オブジェクトは、対象物、物体、客体とかいう意味らしい。
対の『サブジェクト(subject)』とは、主体や主観、主語という意味。
前回のブログの『適応課題』の説明にも
「バルコニーに上がって眺める」
というメタファーがあるのです。
これは、自分と“一体化した価値観”(サブジェクトね)を、
一歩離れて眺めてみると(オブジェクト化ね)、
「絶対に正しい」と疑うことも無かった考え方が、
単なる一つの価値観の可能性もあるよな?
と捉え直す過程のこと。
固定観念って自分には見えないから(これ大事!)、
それを観察対象にするための“オブジェクト化”だね。
要は、上手くいかない時ほど、自分の価値観(OS)を絶対視ししていて苦しむ。
成長は、そのOSを疑うことから始まる。
もちろん、『変わらないそこに美が宿る❗️』という考えもあるだろう。
“侵してはならない尊厳”にも近い観念だし
、私の福祉観(プライベート支援者)としても
『尊重されるべき大切なもの』と捉えている。
ただ、私たちスタッフは「変容する側」である。
利用者の尊厳を客体として守りながら、
自分自身の価値観は積極的にオブジェクト化していく。
それが重度訪問介護(従事者)に携わる者の宿命なのかもしれない。
三島的には『手の届きにくい対象(客体)』だからこそ美しく、
手に入れたい欲求が湧くのだと。
もし変容した瞬間から色褪せるのだとしたら、魂が宿るのは結果ではなく、
キッカケや欲望、プロセスなのかもしれない。
※むかし、堀江さんが言ってた『ウンコ理論』
→上手くいかないことを繰り返してしまう“こだわりのタネ”と似ているね。ぜひ本人に聞いてみて!
『以前だったら不快だったものの領域で快適に過ごせるのが成長の定義』
と、とあるエグゼクティブコーチ談。
同じ失敗を繰り返す。そんな自分が嫌になってきた…
ならば、今の努力の方向性(古いOS)を疑ってみてはどうでしょうか。
その痛みや不快感は、自分の在り方が変わる成長痛なのかもしれない。
そして、その先には、また新しい「美」を追い求める楽しさが待っている。
そんな景色をともに見られること、生みの苦しみに寄り添いながら、
一緒に成長していける支援者でありたいね。
ps.福祉事業所ブログでこんな話が読めるのはYOLO・FUKUIだけ❗️最先端で行こうぜ〜
