YOLO日記

2021.06.14

もののみかた。

いつもブログを書いていると、あーだこーだと思いながら書いているときがあります。
まーネタ探ししてるというか。

時には時事ネタ、時には福祉、時にはアニメ、時にはスポーツ。

書いてるスタッフによってカラーが違う。

とてもいいことなんだと感じております。

けど、人が見方を変えると、まとまりがないなどの見方もできます。

どちらがいいのでしょうか?

どちらも正しいんだと思います。

問題はこのカラーの違いをどう見るかなんだと思います。

最近夜な夜な勉強しながら中国を一緒に学んでいました。

皆さんの中国ってどんなイメージでしょうか。

みんな自転車乗って天安門広場を猛ダッシュ。

みんな人民服を着て肉まんを食べている。

一人っ子政策で貧乏。

最近だと、香港や台湾に対する国家安全法での対応やウイグル自治区の対応が話題になっているのかなと思います。

こんなイメージ中国にはありませんか?(ほかに中国のイメージあればコメントくださいw)

このイメージは1970年代の中国そのものでした。

けど、今は違います。

スマートフォンの部品生産ナンバー1!

爆買いで日本に押し寄せるのナンバー1!

日本のアニメを作っているのは実は中国がナンバー1!

時代は変わっているのです。

また、中国はベトナム・北朝鮮と一緒の社会主義国家だということを知っているでしょうか?

ちなみに社会主義と共産主義と資本主義の違い知ってますか?

共産主義・・・資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制。土地や財産などはすべて国のものとなり、みんなで共有する。生産されたものもみんなのものとなり、均等に分配するという考え。

社会主義・・・資本は国のもので、国がそれらを管理して平等にする体制。個人が資本を所有することは認めない。

資本主義・・・働いたらその分だけ報酬が得られて、個人や企業が財産を所有することができる体制。

色んな考えがありますがこんな感じです。

社会主義なのに他の社会主義国を抜いて今や世界経済2位になっている。なぜでしょう。

それは1978年に打ち出した改革開放「社会主義市場経済」(わかりやすく言うと、社会主義だけど、自由に稼いでいい)というものを打ち出しました。

改革開放のおかげ?で戦後日本のような経済成長が起き、結果日本のようなバブル期のような状態が今起きているのです。

豊かさと引き換えに国は国民に対してこんなことを言いました。

「中国共産党を支持して」と。

このようなやり取りが起きたことで国民が中国共産党支持し、今の中国が大国になっております。

さて、元に戻るのですが、見方によって今の中国はいい国なのでしょうか?

それとも悪い国なのでしょうか?

たしかに諸外国から見れば台湾や香港・ウイグル自治区に対しての対応には?が浮かぶような部分もあります。

けども、中国国内では中国共産党を支持していることによっての一定の自由と治安が守られているのも事実なのです。

他所を知らない中国の人々はそれ以上を望むのでしょうか?

中国が国民に対して与えた自由を不自由と思っているのは諸外国のほうではないのでしょうか?

共産主義・民主主義どちらにも根底にあるのは人への幸せや生活の安定。

形は違えど「主義」は社会というものを形成する大切な核なんだと思います。

それを踏まえて外国を見てみると意外に面白いかもしれません。

2021.06.11

最近のお話

 先週末から暑い日が続いております。

本日も気温が高く、まだ暑さに慣れていないからか、余計に暑く感じる...

梅雨はどこへやら。平年だと、今日あたりに梅雨入りしているようですがその気配もなく(笑)

そんなあっっつい中、先週末は趣味のテニスに一日を費やしました☆

10年以上、細く長く続けている趣味です。始まりは中学のソフトテニスから😊

高校からは硬式テニスに移行し、社会人になってからもクラブチームに所属し続けております。

なかなか練習に行けず、間が空くことも度々ありますが(今回は半年ほど練習ができなかった…)

案外、身体は動くし感覚も残っているもので、今でも楽しめています♪

この趣味のお陰か(?)比較的、体力はあるようで。笑

単純に(スポーツ)そのものが好き、というのもあるけれども、一緒に練習したり一緒に大会に出ている人たちと過ごす時間が楽しくて、好き。

なので、続けていられるんだろうなと思います☆

暑い中、コロナ&熱中症対策をしながら、コートを走り回っておりました。一番元気だった私w

汗だくで、いつも以上に身体を動かし疲れましたが;楽しく、良い時間を過ごさせていただけました(*'ω'*)

自分の好きな事を楽しむ・楽しめる時間を作れること、一緒に楽しめる(共有できる)人がいるのは幸せなことだと実感した一日♪

お陰様で日々、ほどよく頑張れています。趣味の時間も大切に☆

まだまだ落ち着かない中ではありますが、たまに思いっきり身体を動かしてのリフレッシュも良いものです♪

2021.06.02

適応障害

 YOLOでは昨年からスタッフのメンタルヘルスに取り組んでいます。

 

最近、女優さんが適応障害だということを公表しました。

そして、有名スポーツ選手もうつ病で苦しんでいる…と。

 

自身も、数年前に適応障害と診断されたことがあります。

忘れることのない恐怖の期間でした。

適応障害は、特定のストレス要因に対し、うつ症状が生じるというもの。

ストレス要因に接してから直近3ヶ月以内に症状が生じるとされており、

不安が強くなる、人間不信、動悸が起きる、頭痛、腹痛、めまい、倦怠感、朝起きれなくなる、夜眠れなくなる、社会参加ができなくなる等、

様々な症状が現れるようです。

まず、ストレスの要因と距離を取り、休養すること。

でも、職場にストレス要因がある場合は、それ以外の場所では症状を感じないという人もいたり、

会社の建物を見るだけで(会社の話題になるだけで)体調が悪くなったり、

予期せぬ時に再発してしまい、ストレス反応が起きてしまうことも。

 

残念ながら…人生楽しい嬉しいことばかりではない。

十人十色、多様な人がいて、合う人合わない人がいるのも当たり前。

だからこそ、

ひとりひとりもストレスマネジメントを身につけることも大事に思います。

 

また、こんな話からも分かるように、人事ではない。

「障害」ってそういうものだと思います。

いつ、事故や病気で身体が動かなくなるか、考えたり判断したりすることが難しくなるか分からない、

老いというものも避けられません。

その瞬間に昨日まで自分がいた世界と今日から自分がいる世界が変わってしまう社会です。

本当は世界はひとつしかないのに。

「大変やね」「かわいそうやね」「仕方ないわ」、

(話題によっては)「障害者が主張するのはわがままだ」

障害者に向けられます。

今、他人事として聞いていることが我が事だったら…とみんなが考えられれば、

少しは世の中変わると思うんですが。

2021.05.28

四角い窓?

 なんか寒暖差で体調不良が続きます。今年40歳になるからな〜。自分なりに長生きしているなって思いますけど(笑)

 

今年、数年中断していたトレーニングをH氏の影響で再開しました。

とりあえずは、失ったお肉を取り戻すために増量中。

すると、久しぶりに会った人から驚かれます。短期間で体型が変わるから?

先日もお医者さんにビックリされました〜 

血液値も『これフルマラソンしないと出ないよ??』ってw なかなか理解されない趣味ですよね。

 

んま、そんなことして少しでも体力保持と体調管理をと思っているのですが、やり過ぎて体調崩してしまいがちなのが悪い癖で。

やっぱり40代は満身創痍なのかしら。。。

 

さてさて、前回の続きを少しだけ。

伊是名さんやその先達が、どう人々から社会から隔たられ暮らして来たのか。

 

『四角い窓』

 

 ぼくは空の広さを知らない

 空はしょっ中黒い木のわくにおさまった  

 四角いもの

 その四角い空を

 ある時は雲がけだるく流れ

 ある時は鳥が対角に飛び去る

 又時にはまだシャボンのにおいのしそうな

 色とりどりの洗濯物が

 四角い空の大部分を占める

 その四角い空が

 薄くかすめば春が来たと喜び

 深く清めば秋が来たと悲しむ

 そんなぼくを人々は片輪者と呼ぶのだ 

 

映画『さようならCP』の主役の一人、横田弘氏の詩です。

そんな時分から奮起して、後に青い芝の会で社会運動を始めます。

その中で健全者(健常者)と共闘共生しながらもこういう詩も詠っています。

 

『花がたみ』

 

白い霧

あなたは生きることを強いる

面影のすべてを埋めて生きることを強いる

凌辱に曝されたまま生きることを強いる

冷たく白い霧

わたしはこころを ひらかない

だから

だから今朝もあなたに

むらさきいろの 花を摘む

  わたしは あなたを許さない

 

重度障害者と健全者との関係性の常です。

細かい解説はしませんが、『何故人は、生まれながらの差異に対して、こうも残酷なんだろう』と考えてしまいます。たった一度の生を否定してしまうこと。これも自己責任なのだろうか。

それが宇宙のなのか

それとも「違う!価値観でしかない」と言えるのだろうか

 

『障害者であることを自覚せよ』

 

先ずはそこから始まると。社会の中での自分(障害者)の位置。

それは絶望からのスタートなのだと。

 

『本来あってはならない存在』

『否定される命』

 

その上でどう生きるのかを実践していく。

健常者に対して突き付けていく。

健常者の心を揺さぶることで、自己主張を通していくということ。

 

「障害者は健常者との闘争の中にしか生きられない」

 

伊是名さんの件は、そんなことを示しているような気がします。

どっちが上(下)というせめぎ合いではなく、平等対等の関係性は未だ夢幻の如く。。。

共に生きていくには、そう実践していく他無いのだという現実なのかな。どうしても人はすれ違ってしまうのだと。

 

そんな深淵を覗いてみたい!って方は

ぜひぜひ障害福祉(YOLOにおいでよっと締めておきますかね(笑)

2021.05.18

たまには・・・

 タイトルの通りたまにはにちなんだことを書いてみようかと。

最近のたまにはでいうと、・・・・映画が見たい!

自分の時間が全くと言ってなく。

自分のことで一日が終わることがありません。

だからこそ映画が見たい!

ちなみに今見たい映画でいうと、シン・エヴァンゲリヲン。

テレビ版が始まって25年たち、ようやく終わりました。

テレビ版が始まったときはちょうど高校生で、リアルタイムではなく、夏休み特番で平日の午前10時半から11時で39チャン(福井テレビ)で放送してました。

あの当時見た感想はと言うと・・・「他人は所詮自分の心の中なんてわからないし理解できないんだ。」と思ったのを覚えています。

すごく深く、この感情って自分が体験しないと、この脚本やシナリオはかけないと思って当時見ていました。

(今思うと私、どんな少年時代を過ごしてるんだ?)

その後、映画が出来て今でいう「旧劇場版」と言われるのを見に行った時に思った感想が

「あー。人類が補完され、みんないなくなった。そして、アダム(碇シンジ)とイブ(アスカ)のように知恵の実を得た2人の世界をもう一度作ることがその人にとっての生きる場所の創造ということなんだ」と感じました。

色んな状況(セカンドインパクトやサードインパクト)に追い込まれ、その中で社会(エヴァに乗る)に合わせて生きてきた結果、「自分の価値なんて自分にしかわからない。」他者に認められたところで、それは一過性のものでそれを批判する人がいたり、一つの失敗などで認めたことをなかったことにしてダメな人間としてみたり。

だからこそ人類補完計画を発動させて他者と自分の一体化することが最大限で自分を認める唯一の方法になったんだと思っていました。

また、私個人としては旧劇場版ってすごく納得のいく終わり方でした。良くも悪くも天地創造の根底はこうなのかもと思ったりもしました。

※あくまで個人の見解です!「この解釈は違う!」と批判せず、「理解」を求めることが大切だと思います!

まー、一般的には「すごく理解できない!あんな終わり方では誰も救われない!」なんて言われていて、庵野さんは悩まれた(どうやったら庵野秀明を殺すかなどのスレッドがあったみたいです。)結果、「エヴァンゲリヲン・序・波・Q」を作り、紆余曲折しての「シン・エヴァンゲリヲン」。再構築された集大成。まだ見れてませんが、どんなものなのか楽しみです。(これにさらに批判が出てはいますが・・・なんでなん?)

けど、生活している中で長時間の映画を見るハードルは高く・・・。あー自分の時間を作るのって大変!

あ、最後にもう一つ。

視点を変えてアニメ「エヴァンゲリオン」を独自で読み解いてみたいと思います。

全体を通して主人公の碇シンジを見てみると、些細な事を大きくとらえ、常にできない。逃げちゃだめだ。なんて言っています。

支援や社会、生活や仕事の中で「なんだ、そんなこともできないの?」とか「これくらいできるでしょう?」なんて思う場面があるかと思います。福祉支援の現場でも支援員や相談員さんが利用者さんに向かって何気なく言っています。(悪気はないんだと思います。)

けど、本人にとっては不安や恐怖を抱えて命がけでやっていることや、人の何倍も努力しないとできないこと、結果できなっかったことだったりします。

それを否定されたり、批判されたときにはどうでしょう?過去のブログでも書いたかと思いますが、自分を認めるという自尊心や成功体験が育っていくとは思いません

現に摂食障害の方が過食・拒食になるキッカケは何気ない周りからの声だったりします。

私がかかわった女性の利用者さんは「太ももががっちりしてるね?運動部に入ってた?」なんていう何気ない会話がキッカケで拒食になられておりました。(じゃあ何を会話すればいいの?なんて思ったりもするかと思いますが・・・)

話はそれましたが、自分のできること、できないこと、それを他人の物差しで測ればできない人になってしまうし、社会では当たり前のように起きている。まさに弱肉強食の世界です。

けども、自分の物差しで自分の最大限を生かすことで人というものが生きていけるのであればそれでいいのではないのか?

こんな視点でテレビ版のエヴァンゲリオンをみると意外に「庵野秀明」が感じた当時の思い、生きづらさ、生きるという部分を見ることが出来るかもしれません。

好きなことをして生きるためには命を削ってでも作品を作る。命よりも作品が上と公言されていました。

また、庵野さんを取り巻くスタッフも同じように「命を削ってでも作ります」と言っておられ、テレビの中のインタビューで「なぜ、庵野さんと仕事をするんですか?」という質問に対して「好きなことをさせてもらって仕事をしているから」と言われてました。

それって最大の生きるということへの究極の答えなのかなと思います。

生きることにもう一度目を向けてみませんか?

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