YOLO日記

2020.10.05

「だって」?「だから」?

うちの娘が先日、部活で親指を骨折しましてね…Σ(・□・;)

(人間ってほんとどこかの部分が(親指1本でも)機能しないだけで、

当たり前の生活送れないんですよね~)

それはそれでいいんです。

(…いや、よろしくはないけど、スポーツに怪我はつきものなので仕方ないです。)

 

で、「怪我してるから何も(練習も)できない」と言うわけですよ。

日頃から

「だって、〇〇がこう言ったから」

「だって、〇〇だったから」

「だって、怪我してるから」

この「だって」、「だって」、「だって」

 

よろしくない言葉だなぁと思いました。

うまくいかない、できないことを、自分自身含め何かのせいにする。

一番簡単な言葉です。

分かるんですよ、それが一番楽だし。

 

でも、「だってあの人が…」、「だって、私…」、「だってこれがあって…」って言ってたら、

先に進まない、改善しないじゃないですか。

「だって」のループです。

 

そこを「だから」に変えられたらと思うのです。

アクシデントがあって、悪い出来事や自分の不備があっての時に、

「だから、どうするか」「だから、何ができるか」

 

そのためには、

今ある現状を認めないといけないけど

「怪我をしている、だから、これをやる。この練習ならできる…」

「これができなかった(できていない)、だから、これからはこうする」

ってね。

 

きっと、自分も無意識に「だって〇〇なんだもん」って言っているとは思うけれど(^^ゞ

それを「だから」に変える意識は持ち続けたいなと思う今日この頃です。

2020.10.02

ピンチ!だけど日常です

 いや〜9月後半は怒涛の日々でした。

 

スタッフ腰痛で離脱!に重なって、別スタッフも熱発!(おいおいこの時期は怖いぞ!!)。その二人を一週間療養させるために他スタッフと大車輪(笑) 本当に困難は重なりますよね!(今月の勤務表・派遣表が遅れたのはこのためです)

本当に皆さんご苦労様です。めちゃめちゃ頭が下がります。お陰様で二人は無事復活しましたよ!

季節の変わり目、皆さんもご自愛ください。

 

マンツーマンのこの仕事、困ったときはお互い様で乗り切れる体制が作りが重要です。なかなか介助者同士顔合わせる機会が少ない業種なんですが、それでも如何にどう普段からコミュニケーションを取っていくかですね。(ネタは仕事で上手くいかない事でも、プライベートのことでも、何でも良いじゃないですか)

日ごろから関係性作っておけば、彼らも次はサポートする側にまわってくれる事でしょう

 

そんなんで、利用者の皆さまにもご迷惑お掛けしていますが、実はこんな事って結構あるんですよ〜 

コーディネートする側としては慣れてはいるけど、やっぱり毎回テンパる(笑)その不安定さが利用者の皆さんに伝わらない様に努めてはいるつもりではありますが。

もし、何時もの介助者の様子がおかしかったら、『何かあったのかな?でも今を生きているって事だよね』って大らかに見守って頂けると有難いです。可能であれば『どうしたんだい?』って気に掛けていただけるとこれまた幸い。

介助者(事業所)と利用者(客)っていう関係性よりも、共に生きる仲間だという気持ちで、良い時も悪い時も歩んで行きたいものです。

2020.09.25

実務者研修

 実はただいま、研修真っ只中の受講生です。

実務者研修とは、2012年4月にスタートした資格です。

介護福祉士国家試験受験のために

基本知識・技術を学ぶための研修と位置付けられています。

2016年度以降の介護福祉士の受験には、

実務経験3年に加えて、この実務者研修の修了が必須となりました。

・・・そんな資格です。

個人的には資格を取るための資格に???ですが、

同受講生の中には介護職経験のない方もいて、

福祉の間口が広がったともいえるのかな?とも思いました。

大人になっても、まだまだ勉強することはありますね。

最後まで頑張ります(^^)/

2020.09.19

夏から秋へ

 すっかり日は落ちて、涼しさを感じる季節になりました。

今ほどテレビを見ていると手筒花火を上げる企画をやっていまして。。。

花火の歴史を学んでいましたw

花火というのは江戸時代に上げる事をするようになったと。

太平の世に火薬を作るのを禁じた徳川家康はひそかに地元三河の豊橋で火薬を作る技術を伝統としてひそかに受け継いでいました。

作るだけでは増えていく一方になるので年に1回火薬を消化するため竹筒に火薬を詰め、打ち上げる事をしたそうです。

今の打ち上げ花火とは違い、手筒花火で火薬を噴射する形が原点との事。

今でも手筒花火を上げる文化があるみたいです。

花火をあげる事で無病息災を願う事もこの時期だそうです。

コロナの影響で医療従事者などに上げる花火もここからきているんですね~。

また、花火大会などで出てくる「たまや・かぎや」などの掛け声は

実は当時有名な花火屋の名前なんだそうです。

今年は花火大会ありませんでしたが、来年こそ見れますように・・・。

2020.09.11

申請主義

サービスを利用するにあたり、自主的な申請を必要とする。

「今あなたはこのような状態だから、これ使ってくださいね」なんて連絡はこない。

=申請主義

 

1990年代の社会福祉基礎構造改革以降、

措置制度から契約制度への移行が進み、

福祉サービスがその人の選択や申請によって提供されるようになりました。

申請主義は、その人が選択と申請が可能な状態にあることを前提としてますよねぇ?

じゃ、そのような状態、能力がなかったら…?

 

今、自身が障害福祉という分野にも携わっていて、かつ親の高齢化にも直面していて、

“狭間”を感じることが多々あります。

 

まず、

➀ 本当に辛い時こそ、人は「助けて」と言えないケース。

➁ 客観的に見て生活に直結しているだろう辛さを抱えているのに自覚していないケース。

➂ 助けてほしいけど、誰にどうやって伝えて良いか分からないケース。

 

今の制度、窓口として思いつくのが、

障害福祉であれば、その地区を担当する相談支援事業所、またその相談支援専門員、

高齢福祉であれば、地域包括支援センター、居宅介護事業のケアマネさん。

他、福祉相談所にもなんでも相談できる窓口が設けれられていたります。

 

それでもね…

みんな相談しないんですよ…

そもそも、その窓口を知らない。

そして、相談できる人とできない人がいる。

結局、個々人の気力と行動力が問われます。

細かな例があれば「あぁ、私該当するかも…」とも思えるのに、

「こういう人は相談してきて!」って具体的宣伝に乏しい気もします。

 

実際体験した話、

施設に在籍しているワーカーさんも、

施設の中で平穏無事でいてくれればOK、

施設を出るってなったその時には橋渡しはしますよのスタンスで、

その間の本人や家族の真のニーズ、ビジョン設計のアドバイスの関わりはない。

(「教えて!」と言ったら相談に乗ってくれるのかもしれませんが、

ここからすでに申請主義)

本来、余裕を見せなければならない相談窓口が、

悲しきかなひとりが抱えるケースが多かったり、業務に追われているのも事実に感じます。

これはその窓口が悪いわけではなく、そもそも論としてなんとかしなきゃな話ですが。

 

社会保障、社会福祉制度は、憲法第25条を体現するためのもののはずなのに、

“申請”でしか受け付けませんよなんて…。 

 

人に相談するという行為自体が、

どうしても「弱みを見せる」「迷惑をかける」と思いがち。

だけど、自分の問題を他者の協力を得ながら解決するということは、

大きな問題を抱えていない日常や仕事上であっても、

生活していく上で必要な能力であると思います。

そんな生きる力は個々人が身に付けていかければならないけれど、

一方でそれは個々人で差があるもの。

本当に支援が必要な人に支援は届いていない。

まだまだ埋もれているはず。

じゃ、どうする???  どうすればいい???…って考える、考える、考える。

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