YOLO日記

2020.07.14

「総合的かつ包括的な相談援助」

 覚え書きも併せて…

社会福祉士の職務は、「総合的かつ包括的な相談援助の担い手」であるらしい。

 (総合的と包括的の違い…

 総合的→まったく別なものでばらばらのものを一つにまとめる

 包括的→一つに合わせて締めくくる

 分かりにくい…(^-^;))

そして、地域を舞台に専門性を発揮することが求められている。

医師や看護師の業務独占の資格とは異なり、社会福祉士は名称独占の資格。

福祉職も人間だから~…は重々承知で、

そんな専門職と呼ぼれる人に「助けて(聞いて)ほしかったのに」と思う過去がある。

 

…こんなことをひたすら勉強するようになってからだろうか、

はたまたそういうお年頃になったのだろうか、

我ながらやっと『社会』というものを見るようになった気がする。

それまでは、政治も経済も言わば“他人事”で、分からなかったし、分かろうともしなかった。

選挙権もしなっと18歳以上になったわけだし、

もう少し早く、子どもの教育の段階から自然と社会に対して興味をもつ機会があればな~

なんて思ったりもする。

でも、大人になって「もっと勉強しておけばよかったー」と思うのと一緒で、

何事もタイミングというものがあるから押し付けは難しいのだけど。

黒板に向かうだけでは学べないこともたくさんある。(むしろ、それが大半)

 

とりあえずは、情報過多な現代。

それを見定める、聞き分ける鍛錬は必要。

2020.07.06

ヘルパーの心構えとは

 

パーソナルアシスタンスであれ!

お陰様でyoloにも介助者が増えて来ました!

せ〜っかく、障害福祉に携わった訳なんだから、自分の人生にとっても有益な経験としてもらいたいよね。なので、ここで一つ、

介助者たるものとは!

をガツンと言っておかなければなるまいて。

 

個人的には介助者の基本スタンスだと思っているPA(パーソナルアシスタンス)。

介助者とは、あくまで、その利用者のプライベートの介添えなんだから、

『社会(組織)の論理が働き制限がかかる』や、

『個人の価値観を押し付けて介助をする』

は基本的にナンセンスなわけだ。いわゆる手足論だね。

 

理解するには、自分が利用者(障害者)になった時』の事を想像してみればいい。

当然だけど、自分の価値観・自由を尊重してくれない介助者なんてイヤだよねー 私生活が思い通りにならないなんて発狂するわw わかりやすくね?

将来の自分のためにもという視点も大切

 

でも、よく『堕落した生活を正さないといけない。身近な我々が一般的な価値観に矯正していく役割!』勘違いしている介助者も多いよね?

介助業務は、他人の生活を間近で見てしまう仕事。あくまで覗き見しているだけであって、最も身近な介助者がその利用者にとって他者であって良いわけがない。しかし、利用者は他者であるということは常に意識しなければならない。その人生の主体は誰なのかってことよ。上に立っちゃイカンよ!

 

※他者 ⇒ コントロールが出来ない(してはいけない)存在。

ex:私達に都合のいいように他者があるべきでない

 

そんな訳で介助は、根底的な意味ではサービス業ととても共通している。

ならば介助者を選ぶことも肯定されなければならない!というPA制度の理念 ここは全くその通りだが、現実とはとても矛盾してしまうのは悩みどころ… 

 

…と、向き不向きは当然ある業務だが、心掛けとして『介助者は他者であり、異物でもある』という自覚を根底に持ち、その都度のタイミングで立ち戻って振り返ることを忘れてはならない。 その気持ちが伝われば、人情的に接してくれる利用者は多いよ!

 

その考えは、正に差別を無くす為のユニバーサリズム的価値観だと思わないかーい??

自分の将来も見据えてやろうぞ

 

先ずは、業務としてでも他者を尊重することから始めてみて。

障害者だって当然人間なもんで、その内に介助者のオリジナリティ(他者性)も認めてくれるはず。

あくまで信頼関係が築けたならの話ですよ!信頼関係あってのPAってことだね。

※“郷に入っては郷に従え。その基本が出来なくてどうして信頼関係など築けようか

 

いや〜奥深すぎて自分には向かないやw いや、まだ初歩やで初歩W

 知的・精神障害者の介助やるとその辺理解しやすく、レベルアップも出来ると思うよ!

2020.06.29

おにぎりの梅干し

今週はイラストをお休みして文章でブログ更新します。まつざかです。

じつは今までイラストを書いていたのには理由がありまして。文章を書いたり、パソコンを打つのが苦手で・・・。

イラストに逃げていたというわけなのです。

だけど、できるようになりたい気持ちもありまして。なので、少しずつ挑戦していこうと思います。

できないことがたくさんある私は、すぐ人に憧れてしまいます。

例えば、文章を書ける人ってかっこいいですよね。パソコンをキーボード見ずに打てるって超かっこいいですよね。

自分ができないことをできる人には、なおさら憧れます。

人に憧れる時には、それと同時に「自分なんて」という思いも頭をかすめます。

そんな時に思い出す、漫画の主人公の言葉があります。

「例えば、人の素敵というものがおにぎりの梅干しのようなものだとしたら、その梅干しは背中についているのかもしれません。

誰の背中にもいろいろな形、いろいろな色や味の梅干しがついていて、でも、背中についているせいで、せっかくの梅干しが見えないのかもしれません。

誰かを羨ましいと思うのは、他人の背中の梅干しならよく見えるからなのかもしれませんね。」

わたしにもついているでしょうか。それはどんな梅干しでしょうか。

苦手なことがたくさんあって、自信もなくて・・・。

でも。

「人の素敵さに気づくことができる」という梅干しは自分にもついているのかもしれません。

そう思うと自分も捨てたもんじゃないのかもと思えます。

気づくだけじゃなくて、それをその人に伝えることができたら・・・。

そんな人になれたら・・・(^^)

皆さんの「梅干し」はどんなのでしょうか。

2020.06.22

違和感

 全国的にいつもの生活を取り戻す中で新しい生活様式というものが打ち出されてきました。

3密も基本的には変わらないものの

人と会わない→人と距離を取る

一堂に会して集まらない→様々なツールを使って(ZOOMなど)集まる

個室などの狭い空間を避ける→広く換気の出来る場所を利用する

など少し変化が出てきました。

そのほかにも

食事はテイクアウトを利用

大皿(ビュッフェ)から個々に

歌や応援などは十分な距離かオンライン

ナドナド・・・。

詳しくは「新生活様式」で検索してみて下さい。

社会は新たなものを受け入れる時には今までの固定概念を一度崩すことで新しいものを受け入れていくことをしています。

例えば、アニメ。

ドラえもんの声なんて私たち世代では大山のぶ代さんの声で育ってきていますが、今の子供たちは水田わさびさん。

最初こそ違和感があるものの、今やあの声じゃないと逆に気持ち悪い。

クレヨンしんちゃんの声も1年ほど前に交代しました。

その反面、変わらない(変えない)ことでイメージを守っている物もあります。

ルパン三世のルパンがそうです。

元々山田康雄さんが声を担当していましたが、死去後には以前からモノマネしていた栗田貫一が担当していました。

余談ですが、実は一度だけルパンの声は変わったことがあります。

風魔一族の陰謀というスペシャルの時に大人の事情で声優陣が総入れ替えされました。

ただ、この話。内容も面白く、マニアの間ではカリオストロの城に次ぐ名作なんです。

名作なのに声が違う。残念。

ですが、パチンコ台でひっそりと再現されてますw

実際見たのですが、あの名作をあの声で。鳥肌が立ちましたw

見たい方は事務所に起こしくださいw

話がそれましたが、新しいものを受け入れるという事はとても大変なこと。そして変えてはいけないものもある。

やっとそれなりに障害者がいる地域になりつつありますが、まだまだ。

障害者運動が始まって70年ほど。

呉秀三が「精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察」を唱えて100年。

それでも社会はまだまだ受け入れられていない所があります。

このコロナ禍で今までの根底が変わったのを機に改めて社会は社会を見直し、今まで違和感のあったところを見つけ、改善を行い、誰もが必要とされる社会を生み出すチャンスなのかもしれません。

だからこそ一人ひとりが社会に目を向け、出来る事を見つけ、行動していきたいですね。

2020.06.17

そもそも論

梅雨の晴れ間。

こんな日は、YOLOでの朝はとても清々しいことに気づいた。

窓を開ければ、爽やかな風。

どこかしらからは野鳥のさえずり。

気温も申し分なく、たまに車の走行音だけ。

心地よくて…眠くなる……(笑)

日本には四季があって、一年過ごしてみないと(やってみないと)分からないことがたくさんある。

冬は日当たりの悪かった畑も、この季節には日が当たることが分かった。

さぁ、夏本番はどれくらいの暑さだろう(*'ω'*)

さてさて…

ここ数年で得たなと思えることがあって、

それは原点回帰の思考。

行き詰ったとき、

先が見えなくなったとき、

「そもそも、どういう話からだったっけ?」

「そもそも、なんでこうなったんだっけ?」

と立ち戻る。

この 『そもそも』 がポイント。

「そもそも、この案件の出所は…」

「そもそも、そのような生活になったのは…」

とかとか。

後ろを振り返ってそのままでは進歩ないけど、

前進するための手法としては有効であって、

そもそも…で物事が整理されると、

ビュンと勢いよく前進できたりもする。

でも、原点回帰するためには、

自然と自らが知ること、知ろうとすることが大事で。

で、この「知ること」ってのが、人間が成長するためには………ってのは

また次回★

(覚えてるかな…(^^ゞ)

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