YOLO日記

2020.09.11

申請主義

サービスを利用するにあたり、自主的な申請を必要とする。

「今あなたはこのような状態だから、これ使ってくださいね」なんて連絡はこない。

=申請主義

 

1990年代の社会福祉基礎構造改革以降、

措置制度から契約制度への移行が進み、

福祉サービスがその人の選択や申請によって提供されるようになりました。

申請主義は、その人が選択と申請が可能な状態にあることを前提としてますよねぇ?

じゃ、そのような状態、能力がなかったら…?

 

今、自身が障害福祉という分野にも携わっていて、かつ親の高齢化にも直面していて、

“狭間”を感じることが多々あります。

 

まず、

➀ 本当に辛い時こそ、人は「助けて」と言えないケース。

➁ 客観的に見て生活に直結しているだろう辛さを抱えているのに自覚していないケース。

➂ 助けてほしいけど、誰にどうやって伝えて良いか分からないケース。

 

今の制度、窓口として思いつくのが、

障害福祉であれば、その地区を担当する相談支援事業所、またその相談支援専門員、

高齢福祉であれば、地域包括支援センター、居宅介護事業のケアマネさん。

他、福祉相談所にもなんでも相談できる窓口が設けれられていたります。

 

それでもね…

みんな相談しないんですよ…

そもそも、その窓口を知らない。

そして、相談できる人とできない人がいる。

結局、個々人の気力と行動力が問われます。

細かな例があれば「あぁ、私該当するかも…」とも思えるのに、

「こういう人は相談してきて!」って具体的宣伝に乏しい気もします。

 

実際体験した話、

施設に在籍しているワーカーさんも、

施設の中で平穏無事でいてくれればOK、

施設を出るってなったその時には橋渡しはしますよのスタンスで、

その間の本人や家族の真のニーズ、ビジョン設計のアドバイスの関わりはない。

(「教えて!」と言ったら相談に乗ってくれるのかもしれませんが、

ここからすでに申請主義)

本来、余裕を見せなければならない相談窓口が、

悲しきかなひとりが抱えるケースが多かったり、業務に追われているのも事実に感じます。

これはその窓口が悪いわけではなく、そもそも論としてなんとかしなきゃな話ですが。

 

社会保障、社会福祉制度は、憲法第25条を体現するためのもののはずなのに、

“申請”でしか受け付けませんよなんて…。 

 

人に相談するという行為自体が、

どうしても「弱みを見せる」「迷惑をかける」と思いがち。

だけど、自分の問題を他者の協力を得ながら解決するということは、

大きな問題を抱えていない日常や仕事上であっても、

生活していく上で必要な能力であると思います。

そんな生きる力は個々人が身に付けていかければならないけれど、

一方でそれは個々人で差があるもの。

本当に支援が必要な人に支援は届いていない。

まだまだ埋もれているはず。

じゃ、どうする???  どうすればいい???…って考える、考える、考える。

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