YOLO日記

2020.08.04

自殺

 

ALS

 

発症から、日増しに落ちていくADLQOL、そして気力。人に世話をされ、ただ人に生かされているだけの日々。いっそ思考も衰退していくのならば

などということは想像に難くない。

当たり前に出来ていたことが出来なくなっていくという絶望感。『この様な状態では生きていく価値も無くと。

 

『優生思想』

 

我々に深く刷り込まれた価値観である。

 

働けなくなったら終わりだよね。

若者の未来を救うために姥捨山が必要だよね。

社会(既得権益)を維持するために、和を乱す存在は排除して当然だとだよね、等々。

 

だから『生恥を晒すくらいならって。

 

『尊厳のある死?』

 

死にたいって思いは生きたい思いの裏返し

 

自身の今までの経歴と、世間一般の価値観に飲み込まれた結果『死にたい』と思ったのだろうか。いや、むしろ『生きてちゃいけない』と考えたのでは。

 

ニュースのコメント欄を見ていると危うさを感じる。

『そうなったら自分もそう思うよね』

『自殺は認めてあげないと』

 

『死なせてあげなよ』って言う人達。

誰かから言わされていないか?

そんな同調圧力が嫌いなんだろ?

何故、上から目線でモノを言うのか?

自分自身にどれほどの価値が有るっていうのか?

 

そうでは無くても

『職を失った』

『付き合ってた人にフラれた』

『人間関係が上手くいかなくて』 

と自殺を選ぶような時代だ。

 

希死念慮

 

誰もが衝動的に『死』を選んでしまうこの時代に対する違和感。そして、それを否定することが出来ないほど崖っぷちにいる錯覚。それほど歪なこの社会。

 

本当は逆の『生きてさえいれば何度でもやり直せる!』と心から思える社会を求めてはいないか?

ならば、どんなカタチであっても、今を生きる者たち全てのを肯定しなければ矛盾ではないか。尊厳は生きているその人の中に絶対ある。

 

 

『生き方は無数に有る』

 

また別のQOLを追求したらいい。

実際、多くの重度障害者もALS患者も、そうやって別のカタチ(価値観)で暮らしている事実があるのだから。

先ずはそれを知って欲しい。否定しないで欲しい。

 

もっともっと生を肯定していく流れを作らなければならないと思った。

『人生には良い時も悪い時もあって

『どんな人間にも生きがいは必要。何だっていい』

記憶の片隅にあるALSおじさんの言葉。

尊厳のある生それに添うだけ。

 

 

『白と黒だけの世界』

 

当事者の本当の決定を尊重する為にも、社会をもっとカラフルに捉えられるようにしたらいい。

もっと生き方(価値観)は多様であるということを知ったらいい。今は飢死する時代ではない。生きていける時代である。そこに罪悪感は感じる必要は、無い。

  

本当は生きて(活きて)いたいのだろうから。 

 

結局、最終的には個人の問題になるのかもしれないが、もし自分や、または関わっている方がそうであったらと思い書いてみた。

また、福祉との関わりの薄い方達に向けても。

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