YOLO日記

2022.10.30

『ジョハリの窓』と『母よ、殺すな』

社内研修で『ジョハリの窓』やりました。

 

簡単に… 他者を通じて自己を知るための手法

 

社会人である限り、他者からどう見られているかは常に意識せねばなりません。

それぞれがそれぞれの思い通りに生きて行ける社会が最もストレスフリー(ダイバーシティ)

なのだろうと一見思うのですが、それでは社会的責任が果たせず、

無意識に享受している種々のインフラは維持されないのではと懸念します。

『四十にして惑わず』は孔子ですが、まだまだ迷って考えて生きていかねばなりません。

 

思えば『口だけ達者な人』はたくさんいまして。

そういった言動を知れば知るほど沈黙は金はなるほどな話。

そういう人達も背負って生きていければ良いのですが、個人のキャパを超えてしまってはどうにも。

この辺がダイバーシティ(多様性)の課題でしょうか。

 

『自分が何者か(アイデンティティの証明)なんて他人が規定するもの』

要するに、他者は自己を映す鏡なんだよ!と。

 

それで『ジョハリの窓』とかを行いまして、他者からの視点を自己課題に落とし込んで、

一人ひとりがその言動の自己覚知(メタ認知)するようにと。

小難しいですが、簡単にはこれをヒントに手頃なところから自己を律して行けたら良いね!と言ったところですかね。

それがダイバーシティ(お互い様)な社会を維持するためのカギとなるのかもしれません。

なんでもかんでも社会や組織のせいにしていては出遅れてしまうかもしれません。これからは特に。

 

権利主張の相克はゼロサムゲームだと理解する必要があります。

声の大きさの傍らに削られてしまう存在のことも無視しないように。光が強ければ陰もまたです。

だけど、まだまだ不当な扱いの立場の人達はたくさんいて。

だから、一人ひとりの身勝手(エゴイズム)な行動が誰かを挫いてしまっているのかもしれないと意識して生きれるかどうか。

きっと横塚晃一の言う『悲の場』とはそれを超えた場所なのでしょう。いきなり出てきたぞ

 

ということで、秋の読書感想文コンクールに『母よ、殺すな』を推しておきましょう!(もう遅いw

 

なんかグダグダですが、ブログ忘れていたせいかも?ごめんなさい

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